令和4年10月「国際交流の強化」について

 ◆「国際交流の強化」について

  (本インタビューは令和4年9月15日(木曜日)に行ったものです。)


 ポイント:

1.奈良時代における国際交流が、日本の様々な発展につながった。

2.マルチ(多国間)の国際交流として奈良県が提唱した「東アジア地方政府会合」は、今年はインド

  ネシアで開催されるなど、本当の意味で国際的な地方政府会合になるきっかけとなっている。

3.バイ(二国間)の国際交流において、中国・陝西省、韓国・忠清南道、スイス・ベルン州、中国・

  清華大学に加え、新たにウズベキスタン・サマルカンド州と友好提携を締結した。

4.奈良県の国際交流の歴史を振り返り、その意味を認識することで、東アジアの平和な発展に向け

  て、マルチも含めた国際交流や相互理解に繋がるお付き合いを進めていく。

 

 

◎奈良時代から始まる国際交流の歴史

 奈良県は、国際交流の強化・拡大に力を入れています。その理由として、奈良時代における国際交流が、日本の様々な発展につながったという歴史認識があります。

 国際交流が一番盛んであった時代として、奈良時代を超えるものはないと認識しています。奈良時代と明治時代が最も国際交流が盛んだった時代ですが、明治時代は、その後戦争に向かってしまいました。一方、奈良時代は大変平和で、中国とうまく付き合い、文明を享受しました。中国や韓国とのお付き合いのおかげで、日本の国の始まりにつながったと言っても差し支えないと思っています。そのような意味で、本県は大変ユニークな県だと認識しています。東アジアにおけるこのような歴史を、交流させていただく相手方へ申し上げると、大変良いお付き合いが進んでいきます。

 

 

◎東アジア地方政府会合というマルチ(多国間)の国際交流

 国際的には、ヨーロッパなど戦争の経験がある地域においては、マルチの会合を充実させて安全な地域にしようと、安全保障の仕組みがマルチの会合から発生しており、経済あるいは文化といった分野でも、様々な会合がマルチで行われています。

 東アジアにおいても、マルチの会合の一つとして「東アジア地方政府会合」があり、奈良県が提唱し、取り組んできました。歴史的にみると、奈良時代は中国という大きな国を中心としたマルチの国際交流によって、お付き合いが広まったという国際構造になっており、東アジアはその中において、文化・経済が発展したという歴史があります。

 ところが、奈良県が東アジア地方政府会合を提唱した際、東アジアにおいてマルチの会合は、あまりありませんでした。それぞれでお付き合いするバイの会合に対し、マルチの会合は、中心となって動く国が必要です。東アジアでマルチの会合ができたらと奈良県が音頭を取ったきっかけは、欧州議会の中で地方政府の会合が定例的にあり、このような安全保障の取組が、東アジアでも

あれば良いと思ったのがきっかけであり、帰国後に調べてみると、東アジアではなかなかこのような取組はないことが分かりました。奈良県は国際交流の歴史がありますので、東アジア地方政府会合を奈良県が音頭をとって始めましたら、いろいろな国の地方政府が参加してくれています。その中で、アウトリーチとしてEUの外から人を招いて意見交換するというセッションに、知事会から派遣された私が招かれて講演をしたことにあります。

 今回の第11回会合は、インドネシアの西ジャワ州で開催され、第12回以降の会合も海外からの開催申し込みが行われるようになり、東アジア地方政府会合が、本当の意味で国際的な地方政府会合になるきっかけとなっているように思います。

 

 

◎各地方政府等とのバイ(二国間)の国際交流

もう一つは、それぞれの地方政府等とバイで交流する取組です。奈良県は、これまでバイの国際交流はあまりしたことがありませんでしたが、2011年には唐の都、長安があった中国・陝西省や百済の都があった韓国・忠清南道など、歴史的に奈良県とゆかりのある地方政府と友好提携を締結し、それぞれバイの交流を行っております。また、日本・スイス国交樹立150周年が大きなきっかけとなり、当時の在スイス日本大使からのお申し出があり、2015年にはスイスのベルン州とも友好提携を締結しました。奈良県の森林環境管理制度ができたのは、ベルン州とのお付き合いのおかげです。

 最近では、地方政府だけではなく、中国の清華大学ともお付き合いがあります。清華大学は世界のトップクラスで、とても大きな大学でありますけれども、奈良県の歴史は中国と縁が深いので、大変良いお付き合いが続いております。現在、清華大学の芸術博物館において、奈良県の文化財を出陳し、また、中国の各地からの文化財を集めて、日中交流の長い歴史をテーマとした展覧会を開催しています。


 また、2021年に新しく友好提携を締結したのは、ウズベキスタンのサマルカンド州です。サマルカンド州は、中央アジアの一角で、ソグディアナというソグド人の国家があったところですが、奈良県にはソグド人との交流の歴史が残っております。唐招提寺の4代目の管長安如宝(あんにょほう)はソグド人であり、法隆寺の香木にはソグド語が書かれてあります。また、正倉院にある白瑠璃碗などは、ソグド人がペルシャから中国あるいは北を経由して、直接持ち込んだのではないかと考えられています。とりわけ、ラピスラズリという、当時はアフガニスタンでしか取れなかった石が正倉院にあることについて、中国人というより、中央アジアに住んでいたソグド人が奈良県まで運んだと考えると、本県は不思議な交流があった都市だと思います。さらに明日香では、高松塚古墳の飛鳥美人の絵のスカートのモチーフが、ソグド人のものと類似していることが分か

っています。なぜ、奈良県の明日香の地下に埋まっている壁画に、ソグド人のスカートの模様があるのかと考えると、本県は大変不思議な地域であり、歴史がとても国際的であったということが、様々なところで分かってきます。

 

 歴史を掘り起こして振り返り、その意味を認識したいと思っています。東アジアがこれから平和に発展するためには、マルチも含めた国際的なお付き合いや相互理解に繋がるお付き合いが欠かせないと思いますので、奈良県がそのような音頭をとることは、大変意義があるというふうに思っています。