令和4年8月「地方自治・地方政治」について

 ◆「地方自治・地方政治」について

  (本インタビューは令和4年7月22日(金曜日)に行ったものです。)


 ポイント:

1.地方分権は手段であり、大事な目的は地方自治である。地方分権改革が一段落し、地域のあり方を

  決める地方自治が重要視される。

2.戦争や経済成長といったテーマがあった時代には、中央集権国家が必要であったが、世の中の追求

  する価値が変わり、成長よりも成熟が求められる環境においては、現場に近い行政が力を持つ地方

  自治が重要となる。

3.地方政府が役目を果たすためには、中央からすだれのように分散して下りてくる権限を束ねてまと

  まった姿にする必要があり、「まとめ条例」が大きな役割を担う。

4.地方自治により課題を解決していくためには、地方政治がうまく機能する必要がある。ポスト資本

  主義の現在、地方自治と地方政治を上手く結びつけて、現場の知恵を発揮して、時代に合わせた地

  域づくりを目指す。

 

 

 

◎地方分権と地方自治

 地方分権は、国と地方との関係において大きなテーマでありましたが、2000年に施行された地方分権一括法で一段落したのではないかということが、私の意識の中にあります。

 地方分権は、地方自治の手段であるという認識であり、大事なのは地方自治です。地方自治は、地方の政治行政のあり方、地域のあり方を決める大きなテーマでありますので、地方自治をどのようにするかということは、明治以来のテーマでありますが、未完の地方自治と言っても良いかと思います。

 間もなく始まります全国知事会議で、開催県のセッションがあり、テーマを自由に選べるということで、地方自治・地方政治のあり方をテーマに選びました。地方自治のあり方を支えるのは、地方政治のあり方ということになりますので、地方自治と地方政治を一緒のテーマにして、セッションをしてもらおうかと思います。

 

 

◎中央集権と地方自治

 地方分権が大きく言われてきたのは、明治政府が中央集権政府を作ったからです。それまでは、地方分権の時代がずっと続いていました。中央集権であった時代は、奈良時代と明治時代です。

 中央集権となるきっかけは、政府のあり方にあります。近隣に大きな政治勢力が登場したことで、国際緊張が発生し、国を守るために中央集権政府を作る必要があったのではないかと考えます。

 一方、平和な時代は、地方分権の時代が長かったように思いま。江戸時代は地方分権の時代でありました。明治時代であっても、中央集権と地方分権の大きな論争がありましたが、近隣の国際緊張があったため、日本は地方分権よりも中央集権に発して、終戦を迎えたわけです。終戦後も、2000年に至るまで中央集権国家でしたが、いよいよ地方分権、地方自治の時代に入っているように思います。

 地方自治がなぜ大事だと思われるようになったのか。それは、世の中で追及する価値が変化したことにあります。戦争や経済成長といった中央集権に適したテーマよりも、地域で健康に幸せに暮らそうという、成長よりも成熟が大事という環境になってきました。その地域や国全体で、平和に楽しく健康に暮らそうということが国の大きな目標になってくると、現場に近い行政が力を持つ地方自治の方が、より目標を達成しやすいという考え方です。

 


◎地方自治の時代における地方政治の役割

 地方分権は、目標達成のための手段ですが、国は権限が分掌されていますので、分散された権限が地方に下りてきても、いわゆる“すだれ分権”という細かい分権で地方がなかなか役目を果たせない場合があります。地方政府が役目を果たすためには、下りてきた“すだれ”を束ねて、まとまった姿にする必要があると思います。そのためには、“まとめ条例”というのが、大きな役割になってきていると思います。

 地方自治が、現代の課題解決に向けて良い仕事をするためには、地方政治の支えが必要です。地方自治と地方政治が上手く結びついて、良い地域ができることを願っており、全国知事会議においても、このような問題意識を共有化して議論できたらと考えています。

 他の国の真似をするのではなく、現場に近いところで、現場の知恵をそれぞれが発揮するということが必要になってきている時代になったというように思います。資本主義の後のポスト資本主義の時代として、成長から成熟というように、経済も大事ですけれども、健康がより大事というような時代になってきていると思いますので、奈良県は、このような地域づくりを目指して、地方自治のあり方を追求していけたらと思っているところです。