◆「奈良県人と人及び人と社会がつながり支え合う地域福祉の推進に
関する条例の制定」について
(本インタビューは令和4年3月15日(火曜日)に行ったものです。)
ポイント:
1.福祉では、困りごとを現行制度に結びつける“相談業務”が主であり、これが地域福祉行政の原点。
2.個性を尊重する多様な社会へと変化してきた中で、国だけではなく、県も福祉の現場である市町
村を支えることが地域福祉の概念。
3.バラエティあるサポートを提供することが条例の基本的な考え方であり、これを県と市町村がと
もに行う奈良モデルの地域福祉を実行していく。
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◎福祉のはじまりと地域福祉の原点
地域福祉と国の福祉はどう違うのかということについては、実は深いところがありまして、国の福祉と相互補完の関係にあるのが、地域福祉のように思います。
国の福祉は、社会保障の中で発達してきました。1950年に国の社会保障の原則ができ、医療、年金、介護、それから最後に福祉の四つの分野で社会保障が行われてきました。医療や年金は保険という仕組みがあり、みんなで支え合おうという共助の仕組みが、まずスタートしました。それは、国の財政が弱い時だから公助よりも共助の仕組みを作ろうという、知恵があったことにより為しえたことで、日本の福祉のスタートだと思います。
また、医療は、戦争があったからその負傷者を治療しようということで、医学専門学校ができた経緯がありますが、このように戦前から「戦争遂行となると、国全体を持たせなければならない」、「経済は難しいけれども、人をきちんと支えなければならない」という福祉マインドが内務省の中で育っていたことも、1950年という戦後の非常に早い時期に、社会保障の原則ができた理由だと思います。
その時に、福祉は公的な扶助が中心になるので、福祉の保険制度化はなかなか難しいとされていました。医療、年金、介護は保険を中心に発達してきましたが、保険は負担と受益がクリアになっており、その関係が一番大事です。現役世代が高齢世代を支えようということになっていますが、稼げるときに年金に貯めておき、老後に渡すという仕組みを、個人ではなく国民全体でするということで、国民年金制度などが一つの例となります。しかし、福祉は現実にある困難をその場で救わなければなりません。そのうち救うということではできないため、より難しく、少し遅れ気味になっていました。医療、年金、介護、或いはその制度の中で福祉を展開しようとなりますと、福祉はどうしても取り残されてしまいます。すると、福祉の中でも相談に来た困った人を、今ある縦割り、横並びの制度に結びつけようという相談業務が大きな役割になりました。親切に相談を受けようということが、地域福祉行政の原点であり、それを県と市町村でしようとなってきました。
◎社会変化に伴う地域福祉のあり方
年金や医療の制度は国家社会保障にしましょうという一方で、福祉や就学前教育は家族で、というのが日本のメンタリティとしてあります。社会の子というよりも、家の子という意識が強いです。社会保障の最後の砦は大家族制度であり、例えばおじいさんおばあさんがいて、何かあった時は親戚一族の応援をしていました。おじいさんの妹が嫁ぎ先で不幸があると帰ってくるかもしれない、子どもがいて生活が困窮するかもしれない、そうすると本家は支えようというような家族制度の社会保障がありましたけれども、国家の社会保障が広がってきて、家族の社会保障が小さくなってきています。また、核家族化する一方で、育ち方や社会が一辺倒ではなくなってきて、自由主義、他人の個性も自分の個性も尊重しようという風潮になりました。家族制度を例にすると、我々の世代はそうでしたが、特に女性が個性を抑えて家を支えるというミッションを感じていたような時代から、一人一人の個性を尊重しようという自由主義にだんだん日本も変わってきました。それと共に、世の中の居場所、働き方、特に女性の居場所、働き方が多様になってきました。また、人口減少のなか、女性も色々な所で一層の活躍を期待される社会に大きく変わってきました。
そのなかでの福祉とは、どういうことか。今はそれをつくり上げる過程にあります。国家福祉か、地域福祉か。その場所の事情に応じて、工夫して応対しようとすることを現物給付といいますが、定型現物給付と非定型現物給付があります
。このようなことはこうしなさい、その支えになる人件費や扶助費は出しますというような定型的なものは、国が大きな力になります。一方、非定型なものは、どうしてこうなったのかという事情が頻発するので、それは現場で考えないと仕方がないということで、地域福祉の出番になります。地域福祉は国の社会保障や制度の尖兵であり、福祉の現場は市町村です。市町村には、100万人の市もあれば、5000人の村もあります。同じレベルのステータスですると、5000人の村のような基礎自治体では、あらゆることができないので、県が助けて福祉の現場を支えようと、今はそのような課題が地域福祉の中にあり、国だけではなく、県も支えるというのが地域福祉という概念です。
◎条例の制定-奈良モデルの地域福祉
県の条例ですので、現場を工夫し、どのように良くするかという知恵が要るように思います。非定型ですから、世の中が変わってくる中で色々と合わさなければなりません。困り事は多様になっていますが、多様な幸せも発生しています。多様な幸せのうち何%かが多様な困り事になっているというように思えば良いと思います。
しかし、多様な幸せを伸ばしていくことで、同じように多様な困り事が発生します。多様な幸せが大人の手ぐらいあれば、多様な不幸せは、子どもの手ぐらいになると想像します。しかし、これは何とか解決しなければならない、そのために助けなければならないということになります。
例えば、結婚したが離婚したということになると、これは多様な幸せ追求の副産物であり困り事を抱えても、また違う生き方をすればどうかということで、ひとり親家庭を助けようというように、多様な困り事を助けようというようになってきました。それは、地域福祉の原点になってきたというか、国の定形型の扶助の範囲からはみ出る福祉を考えようとなってきています。気持ちの原点はこのようになってきていて、困り事が複雑化、多様化するなかでどのように助けようかというのが、この条例の原点です。
今はまず、社会の多様化に伴い、国家福祉から地域福祉になってきた認識を持つ。例えば、家族の中で多様な困り事があり、家族が3人いても、おばあさんは体が不自由だ、お母さんは収入が少ない、子どもは体に障害があるというように、皆それぞれ困っていることが違います。これは助ける制度が皆異なっており、一家でそのような方が3人おられると、この人だけを救っても家族は幸せにならないので、困った人を全て救うというケースを想定しています。
このような困り事を助ける手段は、体の不自由に対する介護的な助けと、経済的な生活の助けと、身体障害に対する助けのように窓口が全く違います。また、この家族に対してどのようにサポートを提供するかを考えるには、その事情に接する一次接触者と3つの分野でサポートを提供する部隊はまた違います。そうすると、最初に接触する人が3つの分野を全部救うことはできないので、バックヤードへ持っていって提供部隊から救ってもらうということになり、一次接触者とカンファレンス、2つの種類のサポートがいるということがわかってきました。こ
のように、時代の認識とサポートする体系を確認しようというのが、この条例の大きなことです。
子どもも高齢者も、複雑な困り事のある人を丸ごと1つのやり方では提供できないけれども、バラエティのあるサポートを提供しようというのが基本的な考え方になっています。それを県と市町村で一緒にやるという点で、奈良モデルの地域福祉ということになってきています。これは日本の地方行政で初めてのことではないかと思います。説明すると、大変高尚な仕組みに見えますけれども、このような考え方を理解して実行してもらえたらと思います。