地域医療の現場や大学病院で様々なご活躍をされている女性医師の方々3名の対談

須崎康恵先生

須崎 康恵(すざき やすえ)先生

1966年に大阪市で生まれる。
1991年に奈良県立医科大学を卒業後、奈良県立医科大学第二内科に入局し、臨床研修を行う。
1993年に済生会奈良病院に医員として勤務する。
1999年からアメリカHarvard School of Public Health; Department of Environmental Healthにリサーチフェローとして留学する。
2002年に済生会奈良病院に医員として帰任し、2003年に内科医長に就任する。
2003年に奈良県立医科大学附属病院に医員として勤務し2007年 に内科学第二講座助教となる。
専門は呼吸器内科。日本内科学会認定医。
2006年奈良県立医科大学博士(医学)取得。
1997年に第一子、2007年に第二子を出産。

横谷倫世先生

横谷 倫世(よこたに ともよ)先生

1973年に奈良県吉野郡西吉野村(現 奈良県五條市)で生まれる。1998年に自治医科大学を卒業後、奈良県立奈良病院でスーパーローテート研修を行う。
2000年に旧大塔村立診療所に勤務すると同時に、奈良県立医科大学消化器総合外科学教室に入局する。
2002年に奈良県立奈良病院外科に勤務を経て、2003年に奈良県立五條病院へき地医療支援部に勤務し、外科と兼務する。
2004年に黒滝村国民健康保険診療所に勤務する。
2006年に奈良県立医科大学附属病院消化器総合外科に勤務を経て、2008年に医療法人健生会土庫病院大腸肛門病センターに勤務する。
日本外科学会専門医。 2003年に第一子、2007年に第二子を出産、2011年に第三子を出産予定。

小笹 紀子(おざさ のりこ)先生

1976年に奈良県北葛城郡王寺町で生まれる。
2002年に名古屋市立大学医学部を卒業後、名古屋市立大学病院麻酔科に入局し、名古屋市立大学病院で研修を行う。
2004年に岐阜県立多治見病院麻酔科に勤務し、救命救急センターで三次救急を経験する。
2006年に退職し、家庭に入る。
2011年に奈良県に戻り、医療法人健生会老健施設「ふれあい」に管理医師として着任する。
2003年に第一子、2007年に第二子、2010年に第三子を出産。

(2011年3月 所属・役職は対談当時)

  • 須崎先生はなぜ呼吸器内科を選ばれたのですか。
    須崎:もともと呼吸器疾患や血液疾患に興味があり第二内科に入局を決めました。当時の第二内科に女性の教員がいらっしゃったことも大きかったですね。女性が指導的な立場で活躍できる職場であったことは当初のイメージどおりです。男性と同等にチャンスを与えていただけたと思っています。
  • 横谷先生は自治医大ご出身で、義務年限を終えたあとも奈良県に残っていらっしゃるんですね。
    横谷:私は2006年に9年間の義務年限を終えましたが、奈良医大に入局していたこともあって、生活の基盤が奈良にできていたんですね。夫と私の両方の親が奈良にいますし、引き続き奈良に残って、外科医として働いています。
  • 横谷先生は黒滝村にご家族で赴任されたんですよね。
    横谷:週末は子どもと散歩したり、楽しかったですね。たまに、村民のご自宅から「救急車に乗ってすぐ来て」と呼ばれることがあり、自分の子どもを連れたまま、ご自宅に行って、子どもを看護師さんに預けて、心筋梗塞の患者さんを診ることもありました。へき地の診療所では生活と仕事が一体なんですよ。往診にも子どもを連れて行っていました。病院には子どもを連れて出勤することは難しいですが、へき地はその点が良いですね。ただ、ハード面では保育園が無いという問題がありますので、家族のバックアップが必要です。バックアップを期待できるのであれば、へき地医療はお勧めです。黒滝村での2年間で、亡くなった方の48%が在宅でした。患者さんが「家に帰りたい」と自分で選ぶのですから、自分が主体となって看取られるんですね。したがって看病する側の「家族力」も向上します。大事なことを自分たちの手でされ、家族みんなが成長していかれるのです。こういったことを手助けできる在宅診療をライフワークにしていきたいなと思いました。でも若いうちに在宅医療ばかりを経験してしまうと、病院の医療についていけなくなってしまいますので、今は病院で学びつつ、将来的にはまた在宅医療を行いたいと思っています。病院の医療者が知らない世界が在宅にはあるんですよ。若い先生方も是非、経験されたうえで、また病院に戻ってほしいです。
  • 小笹先生は5年程、臨床の現場から離れていらっしゃったんですね。
    小笹:大学卒業と同時に結婚し、仕事と家庭の両立をしながら、名古屋や岐阜の病院に麻酔科医として勤務していました。救命救急センターも経験して、とてもやり甲斐のある職場でしたが、第二子を出産するときに退職し、そのまま家庭に留まっていたんです。でも、このまま働けなくなるかもしれないと思い、第三子を出産したあと、実家のある奈良に戻って、復職することにしました。
  • 先生方が出産後も仕事を辞められなかったのはなぜですか。
    インタビュー横谷:自治医科大学の卒業医師は私のように義務年限中の者が順番にへき地に行くのですが、何となく順番がわかっているので、そこを狂わせないようにしたいと思っていました。家族のサポートを得られたことも大きかったですね。また、学生時代の小児科に、桃井先生(※現自治医科大学医学部長)という素敵な女性がいらっしゃいました。先生は週末に子どもさんを連れて出勤されることもあったので、当時は子どもがいても当たり前に働くものなんだと思っていました。今となっては桃井先生はスーパーウーマンだったんだと実感しているんですけどね。
    須崎:第一子を出産したのは臨床6年目の頃で、私には数々の心残りがありました。呼吸器内科は重症の患者さんが多いのですが、他の医師であれば長らえさせられた患者さんの命を私の力不足のせいで短くしてきたんじゃないかと自分を責めていたんです。ここで辞めたら申し訳ない。自分の至らなさを取り戻すには10年かかると考え、10年は絶対に辞めないと考えていました。出産のようなプライベートな事柄では辞められませんでしたね。10年以上経った今でも、至らなさを取り戻さなければと思っています。
    小笹:私は先生方のようにすぐに復職しているわけではなく、今は一歩ずつ進歩していければと思っているところです。まだ外来での様子は研修医みたいです(笑)。復帰にあたっては本で勉強もしましたが、実際に患者さんに接する方が勉強になりますね。薬が変わっているし、画像や採血のデータなどは電子カルテを使いますが、そういった変化についていくのも大変です。以前はできていたはずのこともできていなかったり、ブランクを埋めるのは大変でしたが、少しずつ思い出していきました。
    横谷:今の病院には自分以外にも子どもがいる女性医師がおられて、一緒に働いていることがうれしいですね。「女性だからここで限界」という天井を作らず、皆でチャレンジしていきたいです。
    須崎:私は大学教員ですので、4年生から6年生の学生と接する機会がありますが、今は3割が女子学生です。女子学生たちを見ていると、同性で、キャリアアップしている先輩などのロールモデルや進むべき方向や働き方などを指導してくれるメンターが少ないということに改めて気付きました。ロールモデルやメンターが必ずしも同性でないといけないということはありませんが、そういった存在がいないために男性と同じようにキャリア形成を考えられない場合があるのではないかと感じています。医学部に来る女子学生は元気ですし、バイタリティもあります。でも自分の将来のことになると、話がぼやけてしまうことが多いですね。勉強や国家試験での成績は男子学生に劣らないのに、キャリアアップができないのは残念です。2011年1月に大阪市で「女性医師支援を考えるフォーラム」があり、私も「医学部学生の視点から見た女性医師支援」というテーマで講演しました。本当のスーパーウーマンには支援は要らないかもしれないけれど、ちょっとした手助けをしてあげるだけで伸びていく人はいっぱいいる。もともとの潜在能力が高い彼女たちにちょっとした助けやカウンセリングをする環境を整えていくべきではないかと考えています。医学部では医学そのものの教育も大事ですが、キャリアデザインの教育も大事だと思います。
  • 具体的にはどういう取り組みでしょうか。
    須崎:日頃ははきはきしている女子学生がキャリアアップに迷いがあるのはなぜなのかという問いを突き詰め、女性医師が能力を伸ばせるように全科を挙げて取り組んでいきたいと思います。このほど、学内に女性研究者支援センターが立ち上がり私も支援員として参加させて頂いています。基礎分野の研究者だけでなく、女性医師も対象にしています。大学内の女性医師支援の具体的な方向性としては、大学医学部勤務の医師の労働環境改善、大学附属の保育施設の充実、育児休暇取得後や復職時の復帰支援プログラムの作成、医師としてのキャリアデザインを明確化することをサポートする大学教育や卒後の支援システムの構築が重要だと考えています。 先ほど横谷先生の話にもあった自治医大の桃井先生のMedical ASAHI 2010 Novemberに掲載された「女性医師支援のあり方」は非常に参考になりました。
  • どういう職場であれば、キャリアアップが可能だと思われますか。
    横谷:チーム医療が実践できていない医療機関では難しいですね。完全主治医制ですと、結局、医師の休みがなくなってしまい、負担が大きくなります。医師だけでなく、家族も子どもも疲れてしまうんですね。私は第二子を出産するときに1年間のお休みをいただいて、どういうワークライフバランスがいいのか考えました。ちょうど須崎先生も出産されるときでしたので、お話もさせていただき、無理のない形でキャリアアップを目指すことにしました。復帰にあたって勤務することになったこの病院ではチーム医療が徹底しています。医師だけでなく、看護師も、コメディカルスタッフも、事務スタッフもチームで働いているんですね。そして、チームで診るということを患者さんにも徹底させていますので、急に休むことになっても患者さんも納得してくださっています。キャリアアップに関しては、この病院は大腸肛門病センターがあるので、大腸クローン病や潰瘍性大腸炎といった難病の治療の勉強もさせていただいています。週に1回はがん患者さんの在宅医療に伺っていますし、色々な視点を持って医療に取り組める環境ですので、医師として成長していることを実感しています。
    須崎:第一子のときは産後8週間で復帰しましたが、理由は医師としての成長を止めたくなかったからでした。また,出産後もしっかり働けることを示すことが大事だと当時は考えていたんですね。その考えを今も否定するつもりはありませんが、未熟だったなとは思います。子どもが健康で家族の援助があったからできたことでした。ところが、子どもが2歳になったときに、渡米することになり,仕事をするために子どもを保育所に預けることになりました。子どもは半年間、毎日、泣きましたね。でも誰にも頼れないし、泣いている原因を私も保育士さんにうまく英語で説明できなかったので、誤解されることもありました。さすがに、仕事を続けるのは無理かなと諦めそうになったのですが、医局の紹介での留学ですから、私が辞めたら次に繋がらないのではと考えたり、経済的な問題もあったりして、辞めるに辞められなかったんです。ところが、アメリカ人の同僚や上司に理解があり、とても温かく接してくれて助かりました。ワーキングマザーが多くて、「子どもの病気なんて当たり前だ」と、休むことを責めるような風潮はありませんでした。アメリカでできることが日本でできないのは構造的な問題なのではないでしょうか。
    横谷:須崎先生と知り合ったとき、私は上の子どもが保育園に入園したばかりで、病気になることも多く気落ちしていたんです。病気の子を置いて働くことに罪悪感があったりもしたのですが、須崎先生から「そんなものよ」と言っていただき、気持ちが楽になりました。須崎先生に出会えていなかったら、気落ちしたままだったはずです。女性医師のネットワークを作ることで、バーンアウトを防いでいきたいですね。
    須崎:部長クラスには女性も出てきましたが、管理者クラスになるとほとんどいらっしゃいません。病院の中で意思決定権を持つポストに女性が就く時代はいつ来るのかなと思います。以前に横谷先生と話していたときに、私が「非常勤医師で働くのはどうなの」と聞いたことがあったのですが、その時、横谷先生が「非常勤ではなく、常勤で働くことにこだわりたいんです」と言われたことが今でも忘れられません。常勤でキャリアアップしていきたいというのが横谷先生の希望だったんですね。「常勤はきつそうだから非常勤で」というのは安易な提案だったと反省しています。
  • 女性医師が働き続けられるためには、どんな環境が必要だと思いますか。
    横谷:医師はどうしても長い時間、職場に留まりがちなんです。夜も医局になんとなく残ってしまったりしますしね(笑)。週末も患者さんを診るために出勤することも多いです。そうすると、コメディカルのスタッフも主治医が週末に来ることが当たり前だと思ってしまいます。しかしながら、チームで診るとなると、ある医師がいなくても、ほかの医師でカバーできる体制ができ、結果として男性医師も助かるんですね。今は男性医師も疲弊していますから、チーム医療を徹底させることで休日の確保に繋がるのではないでしょうか。
    須崎:労働環境の改善がベースではありますが、私の夫のように週末もずっと仕事をすることが幸せというハードワーカーもいます。そういう人は組織に1割くらいは必要かもしれません。有益なんでしょうが、有害にならないようにしないと(笑)。こういう一生懸命な人たちの存在も否定せずに、女性が働きやすい環境を整えるにはどうすべきか課題は多いです。また、当直は医師としての大事な仕事ですが、男性も含めて、皆が好きでやっているわけではありません。生活のためにアルバイトで当直せざるを得ない医師も少なくないのですが、寝ているだけの当直なんて大病院の内科、外科ではありえないんですね。当直を含む36時間連続勤務をいつ改善するのか、誰が本気で変えようとするのかということです。そこの改善には手当などの経済的な問題が発生しますから、まさにパンドラの箱でしょう。一方で、患者さんが女性医師に診てほしいというニーズがあります。女性の患者さんが女性医師を、また、男性の患者さんが女性医師を望むといった組み合わせの選択肢を疎外しないことが求められます。医師になれたのは社会的にいろいろな支援をいただいたからなのだから、男性医師も女性医師も平等に育てていくことが社会の利益に繋がるんです。女性医師支援は社会に生きる患者さんのための支援でないといけません。そういう意識を学生時代に植え付けていくことも必要でしょう。
    横谷:勤務医自体が疲弊し、残っている医師が負担感を覚えています。女性医師が働き続けられる環境づくりは、勤務医全体に対する支援でもあります。ハードワーカーはひとまず置いておいて(笑)、子どもに関わりたい男性医師も増えています。当直を含む36時間勤務は子どもがいたらきついでしょう。でも、次の日に休みという勤務を組めれば、女性も当直しやすくなります。男性医師も女性医師も全体として、皆で軽減していきたいですね。子育て中の人もやがては介護という問題に直面します。そんなときに休めるようなシステムが整備されている組織が生き残るのだと思います。
    小笹:私は、一度バーンアウトした側だと思っています。これまでは自分に熱があっても、子どもが病気でも休めないと思っていました。でも、今は「休んでいいんだ。」と変わりましたね。「家庭と両立をしながら医師としてやり甲斐のある仕事をする。」といった、これまで諦めていたことが少しずつ叶えられていっているような気がしています。
    横谷:この病院は医師の勤務を組む事務職の専任担当者がいます。したがって、「今日はこの仕事」というのが決まっているのですが、とっさの事態にも専任の担当者がカバー体制を調整してくれるので、やり繰りができるんですね。医師が医師の勤務を組むと、交渉しにくい雰囲気がありますが、事務スタッフですとお願いしやすいです。人材をうまく使っていると思います。自治体病院にもこのシステムが広がるといいですね。
  • 奈良県で働きたいと思っている医師にメッセージをお願いします。
    須崎:奈良県立医科大学では学長をはじめ、私の所属する呼吸器血液内科の教授も横谷先生が所属する腹部一般外科の教授も女性医師が活躍できるよう応援してくださっています。呼吸器血液内科には個々の生活状況にフレキシブルに合わせてスケジュールを決めてくれる医局長もいて、女性が働きやすい環境整備が進んでいます。大学は医師の数が多いのも魅力ですし、重い疾患を診ることもできます。基礎医学の先生方と一緒に学術的な研究をすすめることも可能です.他科の医師とのコミュニケーションの機会も豊富ですし、働く場として選択肢の一つにしていただけたらと思います。
    横谷:私は奈良県出身で、自分のルーツがあり、自分を育ててくれたところで、地元のために働けて幸せです。へき地勤務では訪問診療もさせていただけて、在宅医療の面白さを知りました。在宅は闘病というよりも患者さんの生活の場ですし、患者さんやご家族が主体の医療が行われます。患者さんの生活や人生に関われば、医療に対する考え方も変わります。病院で診るのとは全く違いますよ。病院では医学的に一番良い医療が行われますが、在宅では患者さんやご家族にとって最も望ましい医療が行われます。全ての医師が病院と在宅の両方を経験できる機会を持てば、お互いがお互いの医療を理解した上で、各々の医療に取り組むことができるので、地域医療は変わっていくと確信しています。
    小笹:私も奈良県出身で、仕事と子育てを両立させることのできる環境に惹かれ、帰郷してきました。仕事に慣れた頃に、子どもを見てくれている母が病気で倒れ、大変な思いもしましたが、今は母も回復し、安心して子どもを預けています。これからは内科の疾患の勉強を深めていこうと思っています。麻酔に関しても、週に1回、自分のできる範囲で取り組んでいます。復職を迷っていらっしゃる方も多いかと思いますが、今はニーズに合わせていろいろな働き方ができる病院が増えてきていますので、前向きに検討いただければと思います。