奈良盆地の西に聳(そび)える葛城(かつらぎ)、金剛の山並み。その東側の山麓(さんろく)、御所市森脇に一言主(ひとことぬし)神社がある。
杉並木の長い参道をぬけると、広い境内に神さびた風格の社殿が鎮(しず)まる。あたりは苔生(こけむ)した老木、大木に包まれ、時おり鳥の声だけが聞こえる静けさだ。神社の一言主神(ひとことぬしのかみ)は、願い事を一言だけ聞いてくれる神として、地元では「一言(いちごん)さん」と親しまれている。
昔、この付近で、毎夜一匹の大きなクモが出て荒らしまわり、人々を困らせていた。そこへ一言主神が通りかかり、「私が捕まえてやろう」といい、首尾よく退治した。村人はその死骸(しがい)を田の中に埋めたという。この時、クモの大きな牙(きば)が取り置かれ、今も神社の宝物(ほうもつ)となっている。
この話とは別に、『日本書紀』にも土グモの話が見える。
昔、神武天皇が日向(ひゅうが)(宮崎)から東の国々を征服する旅に出た。
熊野から上陸して大和の宇陀などを経て葛城の高尾張邑(たかおわりむら)に来た。ここで天皇は土グモと戦い、これを退治した。土グモは土地の民のこと。この時、葛(かずら)のつるで作った網でクモを覆い殺した。よってこの地を「葛城(かずらき)」と名づけたという。やがて天皇は橿原宮で即位した。
神社の境内に、その土グモを埋めたという「蜘蛛塚(くもづか)」がある。神武天皇の神話が、一言主神の話に形を変えて長く今日まで伝えられたのか。
ところで、一言主神は、お顔が醜かったともいう。昔、修験道(しゅげんどう)の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山(かつらぎさん)と吉野の金峯山(きんぷせん)に橋を架けようとした。それを手伝った一言主神は容貌(ようぼう)を恥じて夜だけ働き、夜明け前に姿を隠したという。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉は『笈(おい)の小文(こぶみ)』の旅で葛城山にふれ、「猶(なほ)みたし花に明行(あけゆく)神の顔」の句を残した。
花々に包まれた葛城の夜明け。そこにおわす神のお顔が、まさか、醜いなんて。いや、麗しいに違いない、といった気持ちか。一言主神社の境内にその句碑がたつ。春の花、秋の紅葉、いつの季節も葛城の山里は美しい。
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