県政だより奈良

 
つちぐもづか
(なりひらみちとすがたみのいど)

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業平の河内へ通う姿を詠(よ)んだ蕪村の「虫鳴くや河内通ひの小提灯」の句碑(左)と、「業平姿見の井戸」(右)。大和郡山市新庄町鉾立にある。同じ言い伝えの残る井戸が斑鳩町にも。

世阿弥(ぜあみ)の代表作、能『井筒』。シテ(主役)の妻が、亡き夫、業平への一途な慕情を語り、井筒を覗(のぞ)き込みながら業平を偲(しの)ぶ。幽玄美の極致。

(写真:金春欣三
(こんぱるきんぞう))



 平安時代の歌物語として有名な『伊勢物語』。主人公は、美男の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)とされる。 
 その業平が、奈良に住んでいたという。今の天理市櫟本(いちのもと)町の在原神社あたり。その住居跡に在原氏の氏寺、在原寺が建てられ、明治初年に廃されて在原神社となった。境内にささやかな社殿があり、業平と父の阿保(あぼ)親王(平城(へいぜい)天皇の皇子)を祀(まつ)る。
 その昔、業平と紀有常(きのありつね)の娘はこのあたりで育った。幼い二人は井筒(いづつ)の井戸に姿を映して遊び、愛を育み、やがて夫婦となった。井筒は、木や石を四角く組んで井戸を囲ったもの。 
 ところが、恋多き業平は、やがて河内(大阪府)高安の恋人のもとに通い始めた。
 それでも、妻は嫉妬もせず、生駒山地を、しかも夜に越える夫の身をひたすら案じた。 
 ある日、業平が高安に行き、恋人の家をそっとのぞくと、あろうことか、自らしゃもじをもって飯を盛っている。貴族の女性なら考えられないその品のなさに業平は興ざめし、以来、通わなくなった。 

* 

 業平が住んでいたとされる在原神社(天理市)から河内の高安まで、彼はどんな道を辿(たど)ったのか。特定することは難しいが、まずは西へ車を走らせた。
 神社から約五分の鉾立(ほこたて)(大和郡山市新庄町)。「業平姿見の井戸」と蕪村(ぶそん)の句碑がたつ。 
 伊豆七条から今国府(いまごう)(大和郡山市)へ。安堵町には富雄川にかかる業平橋がある。法隆寺前を通り、藤ノ木古墳南の道を進み、竜田川(斑鳩町)を渡る。福貴畑(ふきはた)、杵築(きづき)神社をへて、十三峠(平群町)へ。峠を越えると、大阪府八尾市だ。高安も近い。 
 在原神社から高安まで、ほぼ舗装道路が続くが、斑鳩町の一部に田の畦(あぜ)道もある。ざっと三十五キロ。かつて、業平が馬で通ったとしても、山越えの道はあまりに遠く、ことに夜は危険すぎる。男が恋に生きるのも楽ではなさそうだ。


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