県政だより奈良

 
つちぐもづか
(てんぐのいっとうせき)

イラスト

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戸岩谷にある約7メートル四方の巨岩。柳生宗厳が修行中、天狗を一刀のもとに斬り捨てたと思ったが、刀は近くの巨石を2つに割っていたとの伝承をもつ。
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柳生宗矩は1万石余の柳生藩主として江戸に常住し、故郷の柳生に陣屋を置いた。今は史跡公園。建物跡に盛り土をし、石垣で囲っている。約300本の桜が見事。
写真提供:奈良市観光協会(2枚とも)


 奈良市高畑(たかばたけ)町から柳生(やぎゅう)へ通じる旧柳生街道。柳生は、かつて天下に名をはせた剣豪、柳生一族の里である。
 柳生家中興の祖といわれる石舟斎宗厳(せきしゅうさいむねよし)。戦国時代に辛酸をなめた彼は、武士の刀は抜かないことを理想とし、「柳生新陰流(しんかげりゅう)」を創始した。 
 宗厳の五男宗矩(むねのり)。沢庵和尚(たくあんおしょう)に禅を学び、父の「柳生新陰流」を広めて、徳川家二代将軍秀忠(ひでただ)、三代家光(いえみつ)の兵法師範となった。そして宗矩の長男、十兵衛三厳(じゅうべえみつよし)の時代。門弟は全国に一万人を超えたといわれる。

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 その昔、宗厳が剣の修行に励んでいたときのこと。毎夜、戸岩谷(といわだに)から不気味な音や掛け声が聞こえてきた。村人たちは「宗厳様が山奥の天狗(てんぐ)を相手に腕を磨いておられる」と噂(うわさ)しあった。
 ある夜、宗厳は天狗と戦い、「えいっ」と一刀のもとに斬(き)り捨てたと思った。が、実は天狗の姿はなく、そばにあった大石がまっぷたつに割れていたというのだ。その巨岩は「一刀石」と呼ばれ、今も天乃石立(あまのいわだて)神社の南50メートルほどのところに残る。

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 柳生の里へは、旧柳生街道を辿(たど)って入りたいが、近鉄奈良駅から徒歩で約21キロ。バスなら国道369号線を走って約50分で着く。
 柳生バス停を南へ、古楓(もみじ)橋を渡り、霊源坂(れいげんざか)へ。石敷きの坂道は桜や楓に彩られ、風情に富む。
 坂を上り切った高台にある芳徳寺(ほうとくじ)。宗矩が父宗厳の菩提を弔うため、寛永(かんえい)15年(1638)に建てた。柳生家代々の菩提所。山門前の広場から眼下に柳生の里が一望できる。
 豪壮な石垣の旧柳生藩家老屋敷、旧柳生藩陣屋跡などの史跡が点在する。周囲を緑のおだやかな山並みが囲み、中央を今川が流れる。田園風景が広がる中、静かでゆったりとした時間が過ぎていく。
 徳川300年の泰平を支えた柳生家の人々。今、柳生の里は、柔らかな光と風につつまれ、のどかな春を迎えようとしている。

 


地図

問
柳生観光協会
TEL
0742・94・0002





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