華麗な枝垂桜(しだれざくら)で有名な大野寺。寺伝では、白鳳年間に役小角(えんのおづぬ)が開創し、のち、空海が一堂を建てたのに始まる。今の建物は明治以降の再建で、本堂に、背中が少し焼けた地蔵菩薩立像が安置されている。このお地蔵さんにまつわるお話し。
室町時代、大野の里に杉山平左衛門という侍が住み、小浪(こなみ)という気立てのよい、かわいい侍女が仕えていた。彼女はことに信心深く、大野寺のお地蔵さんに毎日お経を唱え、花を供えていた。
ある時、平左衛門の家が火事になり、運悪く全焼した。翌日、小浪が火をつけたと告げ口する者がいて、彼女は捕らえられた。
「大恩ある旦那様の家に、どうして私がそんな大それたことをしましょうか」と、小浪は涙を流し無実を訴えたが、聞き入れられず、火あぶりの刑に処せられることとなった。
そして、その日。刑場に集まった村人らは、「あの信心深い小浪さんが、火付けなんかするもんか」と口々に言い合った。
柱にくくりつけられた小浪は、目を閉じ、大野寺のお地蔵さんに一心にお経を唱えた。
やがて、火がつけられた。火はたちまち燃え上がって小浪を包んだ。
と、その時だった。燃え盛る炎の中、よく見ると、小浪の姿はお地蔵さんに代わっていた。役人らは驚き、水をかけ、やっと火を消した。お地蔵さんの背中は黒くこげていた。
すると、その向こう、石に座って一心にお経を唱える無事な姿の小浪が現れた。村人らは手をたたいて喜び合った。
小浪はやがて、出家して妙悦(みょうえつ)と名のり悦庵(えつあん)に住んだ。大野寺のお地蔵さんに感謝を捧げて一生を送ったという。
今、近鉄室生口大野駅の北西約500メートル、南面した山腹のやや広い平地に、悦庵跡と墓がある。花が供えられるなど、今も、小浪にゆかりのある地元の人によって手厚く守られている。 |
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