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吉野山への入口ともいうべき上市から、南へ、鬱蒼(うっそう)たる緑に覆(おお)われた山また山を奥へ奥へと分け入る。国道169号を車で走ること、約2時間。
やがて、山が途切れたあたりに静かな山里が見えた。吉野郡下北山村。雄大な自然の中の爽やかな高原の地で、鳥のさえずりも聞こえる。
東に大台ケ原山地、西に大峰山脈が連なる。大峰山脈は、山岳信仰を原点とする修験道(しゅげんどう)の山。修験者(行者)は、吉野山から熊野までの峻厳(しゅんげん)な峰々を踏破する。釈迦ヶ岳(しゃかがだけ)、孔雀岳(くじゃくだけ)、仏生嶽(ぶっしょうがだけ)の標高、約1800メートル。険しい道を歩き、絶壁をよじ登り、滝に打たれて荒行を重ね、大自然への畏怖(いふ)と崇敬の念を体感しながら、行者は能力や呪力を得てゆく。
開祖は文武(もんむ)天皇の時代(7世紀後半)に活躍したとされる役行者(えんのぎょうじゃ)。下北山村は、その修験道の山の麓(ふもと)にある。
昔、その役行者が大峰山に入った。大蛇が現れ、行者はこれを高下駄で3つに踏み切り、錫杖(しゃくじょう)ではね飛ばした。頭は熊野の有馬の池に、胴は北山の明神池に、尾は奈良の猿沢池に落ちた。そこで、有馬の池、猿沢池ではもちろんだが、ここ明神池でも不思議なことがあった。
ある時、物好きな男が、池に船釘(ふなくぎ)を投げ込むと龍が出現すると聞き、船釘一貫匁(かんもんめ)(約4kg)を投げ入れた。すると、物凄い黒雲、雷鳴とともに池の中から大蛇が現れ天に昇った。男は気を失い、倒れたということだ。
ところで、役行者の高弟で従者として知られる前鬼(ぜんき)、後鬼(ごき)。2人は夫婦で、五鬼とよばれる5人の子供に恵まれた。鬼といっても呪力の優れた人のことであろう。
「前鬼」の地名が下北山村にある。前鬼川の清流近く、深山幽谷(しんざんゆうこく)のこの地で、今もその子孫が、修行中の行者のために食事や宿泊の世話をする宿坊を守っている。今の五鬼助(ごきじょ)義之さんは、61代目。
まさに気の遠くなるような話だが、奈良には1300年、いやさらに古い歴史が今も脈々と息づいている。遠い昔話のような、現代のお話−。
前鬼・不動七重の滝(日本の滝百選)
前鬼川の流れが水しぶきを上げながら滝壺に落ちていく。その姿を、七重の滝遊歩道から眼前で楽しめる。
初夏もさることながら秋の紅葉も圧巻。
明神池と池神社
明神池と池をご神体とする池神社。神に怒りがある時は池の水が社苑を浸すと伝えられる。池の周囲には1キロの遊歩道が整備され、森林浴が楽しめる。