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   私が子供の頃は、ちょうど戦中戦後で、とても食糧事情が悪い時代だったと思いますが、飛鳥川でよく遊んだことばかりを思い出します。田畑や小川で小魚を捕ったり。今思うと、ふるさとの自然が、生活の糧(かて)そのものであったのかもしれません。
 青少年時代を奈良で過ごし、今は奈良を離れていますが、例えば、父や母との思い出は、全て奈良で生活していたときのことばかりです。
 私の仕事は、奈良との関係は直接は無いですが、大阪に本社を構えていることもあり、奈良在住の多くの方々に会社で仕事をしていただいています。これは生活の地として、今も昔も魅力を失っていないということだと思います。
 考えてみると1300年の昔に国の中心であったことも、当時の人々が「大和」が良いところであると選んだからこそ、文化、政治の中心にしたのだろうという思いがあります。
 私の経営する会社は、ゲームソフトという文化産業で、日本発の智恵を絞って国際的にビジネスチャンスを広げています。発信力というのは創意工夫からしか生まれないと経験から実感しています。「奈良」を発信することはまさに文化産業です。それに値する豊かな歴史と土地の魅力を持っているのですから、国際的な規模で、創意工夫する「力」を持ってほしいと思います。