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奈良に生まれ、奈良で育ち、奈良を捨てた。高校の卒業式当日、私は東京のとある喫茶店で人生初めての煙草を吸った。奈良を卒業したのだと思った。そしてきっちりと都会の絵の具に染まっていった。奈良弁も封印した。それから10年が過ぎた頃、ある歌が流行った。『青春のかけらを置き忘れた街』というフレーズがやけに沁(し)みて、いつか奈良での18年間に想いを馳(は)せていた。
人は争うことを知った。酒を覚えた。吉野の鮠(はや)は旨かった。上には上がある。人は間違う。恋をした。人は死ぬ。挫折。脈絡もなく湧き出してくる自身にしみついた断片に、いまの自分を形成している核のようなものが全て奈良にあったのだと覚(し)らされる。『奈良で生まれた男やさかい』奈良に帰ってみようかと思った。
若草山から生駒の山が見えた。眼下には母校ゆかりの甍(いらか)の鴟尾(しび)が黄金色に光っていた。盛(さか)り場のはずれの電信柱にあの頃の夜がしみついていた。
還暦を超えたいまも、ふらりと奈良に立ち寄ることがある。『トモちゃん、帰ってたん』ふるさとの呼び名に時の隔(へだ)たりが一瞬に消滅する。現在の私を「トモ」と呼ぶのはこのまちだけだ。「奈良を捨てた男」を奈良はなんのためらいもなく受け入れてくれる。 |
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