當麻寺は、612年に聖徳太子の弟・麻呂子(まろこ)親王が河内国に創建した万法蔵院(まんぽうぞういん)が起源と伝えられ、681年開創、684年に行われた落慶法要(らっけいほうよう)では百済(くだら)の僧・恵灌(えかん)が導師を務めたとも言われています。當麻寺は、極楽浄土の様子を描いた當麻曼荼羅(まんだら)と曼荼羅信仰の寺として有名で、また、1000年以上前に建立された東塔、西塔の2基の三重塔が現存している日本唯一の寺としても知られています。今回は、中国・韓国とのゆかりとして、金堂に安置されている四天王像をご紹介します。
當麻寺の四天王像は、飛鳥時代の乾漆像(かんしつぞう)で、中央のご本尊・弥勒如来(みろくにょらい)(飛鳥時代の塑像)を囲むようにして北東に多聞天(たもんてん)、南東に持国天(じこくてん)、南西に増長天(ぞうちょうてん)、北西に広目天(こうもくてん)の4体が立っています。四天王像としては法隆寺のものに次いで日本で2番目に古いものです。四天王像の襟が高く、肩の布を首に巻いて、両袖を長く垂らした姿は、唐の様式以前の北周(ほくしゅう)・北斉(ほくせい)の服制をとどめていると言われています。4体のうち、持国天像は最もよく当時の姿をとどめています。また、増長天・広目天は後世の木彫の補修が目立ち、多聞天は完全に後世の木像ですが、これらの補修もその原型を尊重して行われたと思われ、これ以降に制作された唐様式の四天王像とは異なる様式で珍しいものです。當麻寺縁起絵巻によると、これらの四天王像は、開創時に百済の地から飛来したと伝えられています。
四天王は本来東西南北の守護神ですが、飛鳥、奈良時代の寺院はほとんどが南に面して建てられているので、四天王像は実際の方角をずらし、須弥壇(しゅみだん)の四隅に安置されています。これは他の奈良の寺院でも同様です。 |