奈良県と大阪府の境にある生駒山地。 『万葉集』には「難波津(なにはづ)をこぎ出てみれば神(かみ)さぶる生駒高嶺(いこまたかね)に雲ぞたなびく」と歌われている。神が住むような神々しい山であったか。一方で、山には岩場も多く、修験道(しゅげんどう)の祖、役行者(えんのぎょうじゃ)もここで修行している。
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その伝統は近世にも引き継がれた。
生駒山の巨大な岩壁の般若窟(はんにゃくつ)には、役行者の作といわれる不動尊と弁財天の仏像が祀られていた。山麓の村人は「この古仏を守ってくれる方がいたら山を寄進する」と、修験僧でもあった湛海さんにお願いした。実は、山には恐ろしい悪霊(あくりょう)が棲(す)んでいたらしい。
延宝六年(一六七八)、湛海さんは菜畑(なばた)村の庄屋の案内で山に入った。岩をよじ登り般若窟に立つと、奇石が峨峨(がが)として聳(そび)え立つ断崖であった。
湛海さんは石を取り除き、座禅する場所をこしらえた。ここに籠(こ)もって三、四日過ぎた夕暮れ、突然、怪力の夜叉が組み付いてきた。
夜叉は黒く大きく、肌は岩のように硬くゴツゴツし、毛髪は鉄の針のように鋭く尖っていた。夜叉は「ここは俺の住まいだ。早く立ち去れ」と言った。
湛海さんが「南無不動明王(なむふどうみょうおう)」と念じると、その腕力は夜叉の数十倍に変化し、夜叉は逃げ去った。
その後、湛海さんは、生駒山には岩船大明神(いわふねだいみょうじん)が住み、山の北にその神が降臨した岩船谷があると聞いて参詣した。すると岩船の岩肌が、襲ってきた夜叉の肌と大変よく似ている。この時、大明神が夜叉となって現れたことに気づいた。今も般若窟には岩船大明神を祀る小社がある。
湛海さんは伊勢(三重県)の生まれ。十六歳で出家し、真言律(しんごんりつ)を学び、また、諸国を遍歴して苦行を重ねた。五十歳の頃、かつて役行者が開いた宝山寺を中興。八十八歳で示寂(じじゃく)した。
ところで、宝山寺は、不動信仰とは別に「生駒の聖天(しょうでん)さん」として知られる。聖天堂には湛海さんが勧請(かんじょう)した大聖歓喜天像(だいしょうかんぎてんぞう)がある。夫婦和合、子授け、商売繁盛の尊像として広く信仰され、とくにお正月には初詣の人々で大変賑わう。 |