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中国・韓国とのゆかり探訪
中国・韓国とのゆかり探訪 1300年前に海を渡ってきた文化は奈良から日本各地へと広まった 中国・韓国とのゆかり探訪
大安寺ーかつての大伽藍(がらん)は長安の西明寺(さいみょうじ)を模して建立(こんりゅう)
 “がん封じ”の祈願で知られる大安寺。その前身は、7世紀後半に藤原京に建立された国立の寺院、大官大寺(だいかんだいじ)で、後に平城京に移転し、現在の大安寺となりました。かつては高さ70mを超す七重塔が東西に並び、800人以上の僧侶が居住する国際的な大寺院でした。この大安寺の建立を指揮したのは、唐への留学から帰国した僧侶・道慈(どうじ)です。
 道慈は、702年に中国の明州(めいしゅう)(現在の寧波(ねいは))に上陸し、揚州(ようしゅう)を経て長安の西明寺で16年にわたって仏教を学びました。西明寺はインドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を模して建立したとされる壮麗な寺院で、道慈はこの西明寺を参考にして大安寺の大伽藍を建立したといわれています。全盛期には、東大寺の大仏開眼に携わったインド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)や中国僧のせん(どうせん)、新羅(しらぎ)僧の審祥(しんしょう)、ベトナム僧の仏哲(ぶってつ)など多数の大陸からの渡来僧が滞在したほか、唐や新羅に学んだ留学僧などが居住しました。鑑真招聘(しょうへい)に尽力した栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)もこの寺の学僧で、最澄(さいちょう)と空海(くうかい)はここで学んだ後に唐に留学し、天台宗、真言宗を日本に伝えました。このように、大安寺は国際色豊かであり、歴史上著名な僧が多数在籍するなど、日本の仏教興隆に重要な役割を果たした寺院でした。
 後に都が京都に移り、大安寺は次第に衰退しましたが、現在、復興が進んでいます。現在も唐の影響を受けた8世紀の木彫仏像9体を伝えています。
大安寺境内 大安寺境内
がん封じ笹酒祭り (写真:奈良市観光協会提供) がん封じ笹酒祭り
(写真:奈良市観光協会提供)
【大安寺】
JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バスの大安寺行・シャープ前行・白土町行のいずれかで、「大安寺」下車。
南西へ約800m。
問 県国際観光課
tel 0742・27・8553
fax 0742・23・0620



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