日延べされたバースデー |
昨年の娘の誕生日のことであった。翌日の会議資料の準備を片付けた後、家路を急いだ。駅前の洋菓子店で予約したケーキを受け取り、待ちかねているであろう娘の出迎えを予想して玄関のドアを開けた。ところが、どうもお祝いをするような気配が全くない。
部屋にいた娘は、友達からのお祝いのメールに返信するのに忙しいという。事情を聞くと、おばあちゃんから、今日は仏滅だからお祝いは明日にしなさいと言われたとのことであった。
風習やしきたりには生活の知恵として伝統的に受け継がれてきたものも多い。しかし、この六曜(大安、赤口、先勝、友引、先負、仏滅)は合理的根拠もなく、機械的に割り振られたものに過ぎない。科学の時代と言われる現代にもかかわらず、昔からみんながそうしているからというだけで、六曜に左右されていることが少なくないのではないだろうか。
自分の普段の生活をふり返ったとき、この六曜と同じように、合理的根拠もなく人を避けたり傷付けたりしていることがあることに気付く。しかし、それを「昔からみんながそうしているから」で済ませてもよいのだろうか? |
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