奈良県のほぼ中央、吉野郡下市町の善城(ぜんぎ)に瀧上寺(りゅうじょうじ)という古刹(こさつ)がある。
白壁塀に門、本堂、鐘楼(しょうろう)、書院などが建つ立派なお寺だ。お寺の前は、ゆるやかな棚田が続き、その向こうは低い丘陵が三方を囲んでいる。春の透明で暖かな光が溢れる、静かでのどかなところである。
お寺の西側を流れる秋野川。流れは吉野山の青根ヶ峰(あおねがみね)から北へ下り、下市で吉野川に合流する。
実は、この川の、瀧上寺前の道近くにある小橋からやや下ったあたりが、なにやら神秘的な場所なのだ。さほど広くない川幅ながら、川床(かわどこ)、堤(つつみ)に驚くほどの巨岩が累々(るいるい)と続き、その間を縫って川が右に左に曲がり、小さな滝となって逆巻くように勢いよく流れている。白い飛沫(ひまつ)が泡立ち、ザアザアと岩を打つ水音が激しく響く。その上には、堤から伸びた幾本もの大樹が枝葉を大きく広げてその流れを覆い、昼間でも薄暗い。
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昔、瀧上寺の本堂裏の銚子の淵(口とも言われる)に、一匹のガタロ(カッパのこと)が住んでいた。川へ遊びに来た子供たちの手足をもって引きずり込んだり、吸い付いたりしていたずらをした。だから、付近ではこの淵には近づかないよう言われていた。
ある晩、瀧上寺の二十二世、恵真和尚(えしんおしょう)が便所へ入った時、突然、氷のような冷たい手でお尻をなでるものがあった。
和尚さんは「こいつめ!」と言い、その手を握って離さなかった。すると、「私はこの裏に住むガタロです。もういたずらはしませんから、勘弁してください。その代わり、よく効く傷薬を教えます」と言ったので、和尚さんは手を放してやった。
明治のはじめころまで、瀧上寺で造り売られていた傷薬はこれだと言い伝えられている。
そういえば、お寺の本堂裏の銚子の淵。いかにも、いたずら好きのガタロが住んでいそうな、そんな気にさせられる不思議なところである。 |