父の仕事 |
今夏、父の初盆を迎える。
若くして結核を患った父は、会社勤めがままならず、長年の療養生活の後、丁稚(でっち)奉公に出て商いを学んだ。その後独立はしたが、店は構えず、反物の行商と農業で、私たち家族の生活を支えた。
毎年年度始めに配られる家庭調査票。私は、父の仕事の欄にいつも戸惑った。「どう書いとくの?」と尋ねる私に「適当に書いておけ」と答える父。「適当に」という言葉が、幼心に悲しく響いた。いつしか私は、人から父の仕事を聞かれても、はぐらかすようになった。
高校生になり、ふとしたことで父と口論になった。売り言葉に買い言葉。「店も出されへんくせに」私が口にした言葉に父は激昂(げきこう)した。「もう一回言うてみぃ。俺は、この仕事でお前らを食わせてきたんや。誰にもとやかく言われることはない」頭を何かでガツンと殴られたような気がした。心の中で何度も父に謝った。父の仕事を、父を蔑(さげす)んでいた自分が情けなかった。
晩年、父は店を構え、一年のほとんどを店で過ごし生涯を終えた。「仕事への誇り」。父の生きざまから学んだ私の宝物である。 |
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