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都市のシンボルといえば、タワーであろう。その都市のシンボルになるエッフェル塔や東京タワー。 古代の大和では、三輪山を自分たちの住む大和を代表する神がいる山として祀(まつ)っていた。邪馬台国の中心部ではないかといわれるようになってきた巻向(まきむく)遺跡も三輪山の麓(ふもと)にある。三輪山は奈良平野の南部(中和地域)に住む人びとにとって、故郷のシンボルだったといえる。 額田王(ぬかたのおおきみ)が、近江に下向するにあたって、この三輪山を歌った有名な歌が、次の歌である。
歌の大意は「あの三輪山を、奈良の山の向こうに隠れるまで、道の曲がり角が幾重にも重なるまで、心ゆくまで見つづけてゆきたいのに、何度も何度も眺めてゆきたいのに、つれなく雲が隠している」というものだ。雲よ退いてくれ、私は三輪山を見たい、と彼女は訴えているのである。 反歌では、その思いの深さがさらに凝縮される。「三輪山をそんなにも隠してしまうのか、せめて雲だけでも私の気持ちをくみとる心があってほしい、隠したりしてよいものか(ヨイハズガナイ!)」と額田王は叫ぶ。 これは、この奈良山を越えてしまうと、三輪山が見えなくなってしまうからである。人には、誰でも心にとどめておきたい景色というものがある。遠くに旅立つ日に、もう一度見ておきたいと思う景色がある。三輪山こそ、額田王の心のふるさとの山だったのであろう。 |
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