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〈采女(うねめ)の寿歌(ほぎうた)〉 | ||||||||
雄略記には、泊瀬(はつせ)(長谷)の百枝槻の下での新嘗祭(にいなめさい)(収穫感謝祭)の宴会の折り、伊勢国三重出身の采女の不注意に怒った天皇が、采女の気転の利いた寿歌を聞いて許した話を伝える。 ある時雄略天皇は泊瀬朝倉宮の四方に枝を張った百枝槻、すなわちケヤキの巨木の下で新嘗祭の宴をした。宴席に仕えた三重の采女が、酒を天皇に献げたとき、杯にケヤキの落葉が浮いているのに気づかずに差し出した。落葉を見た天皇はたちまち采女を打ち伏せ、首を切ろうとする。すると采女は「殺さないでください、申しあげたいことがあります」と言い、四十五句に及(およ)ぶ歌を、おおよそ、「纒向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)(この物語では泊瀬の朝倉宮とあるべきところ。景行(けいこう)天皇関係の物語を流用したものか、日代宮とする。)は朝日夕日の照らすめでたい宮、竹や木が根を張るようにしっかり築かれた宮です。新嘗のための桧(ひのき)の門をもつ御殿の側に生えている枝張のよいケヤキ、上・中・下の枝はそれぞれ天・東・地方をおおっています。その上の枝の葉が中の枝の葉に、さらにそれは下の枝の葉にふれ、生命力を移し濃くしています。その生命力に満ちみちた葉が杯に浮かび、酒を木の生 命力で満たしていますので、どうぞ召し上がってください」と歌ったのを聞いて、天皇はその采女の罪を許したという。 |
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〈雄略天皇のイメージ〉 | ||||||||
雄略天皇は記・紀ともにエピソードの多い天皇で、ともに我が儘(まま)で、仕える者に厳しく、すぐ殺意をみせる専制君主として描かれる。ただ記・紀の伝えるイメージは少し異なる。紀ではいさめの言葉を受けいれる場合もあるが、無用の殺戮(さつりく)をする酷薄さを強調する。これに対し、記はこの話のように相手を許し、憎めないところもある天皇として描く。 三重の采女の寿歌の発想は、前にもふれた(「県民だより奈良」2011年 9月号参照)「人間の生命は植物の生命と交感する」とする古代信仰に基づき、天皇もこれを受け入れている。宴の場としてケヤキの巨木の下を選んだのも同じ信仰であろう。この話は雄略天皇の人柄とともに、場に相応しい気転の利いた言葉・表現の大切さも語る。テレビタレントたちの得意とする「言葉の技」である。その技のない者はこうした時代に生まれ、暴君に仕えておれば、命がいくつあっても足りなかったに違いない。 |
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