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台所にある、お玉。古来日本では、『坪杓子(つぼしゃくし)』と呼ばれ、木を彫って作られていました。その技術が今も五條市の大塔(おおとう)町惣谷(そうたに)に残っています。その名は大塔坪杓子(おおとうつぼしゃくし)。伝統工芸士だった新子薫(かおる)さんから、孫の光さんに技術が伝わりました。 | ||||||||||||
ごはんをよそう、現在のしゃもじのことを平杓子(ひらしゃくし)と呼んだのに対して、すくう部分を深く彫ったものを坪杓子と呼んできました。坪杓子は、昔、紀伊山地で盛んに食べられていた茶粥(ちゃがゆ)を鍋からすくってよそうのに便利な形だったんですよ。 昭和初期までは、この辺りのほとんどの家で杓子作りをしていましたが、生活の欧米化によって出荷量が減り、職人も減ってきました。今年の3月に亡くなったじいちゃん(薫さん)が、最後の職人になりそうだったんです。 |
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高校では自動車関係の仕事に就こうと考えていましたが、卒業を控えて、じいちゃんが、この杓子を作る最後の職人だということが気になってきました。 子どもの頃から見ていた伝統技術が失われてしまうことが寂しくなって、跡を継ごうと決めたんです。 じいちゃんに弟子入りしてから7年になりますが、まだまだ作るのは難しいですね。 |
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まず、栗の生木をナタだけで、大まかに削ります。そこから、数種類の専用の刃物を使って、底の丸(くぼ)みを削り出して、すくう部分の凹み(坪)を彫ります(①)。柄と、すくう部分の中心線がずれていないか、扱いやすい柄の太さかどうか、感覚で調整しながら、柄の曲線を削り出して仕上げます(②)。 3本の杓子を作るたびに、刃物を研ぎ直すほど、切れ味にこだわります。研ぐのが仕事と言っていいくらいなんですよ。 |
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じいちゃんの言葉で、印象に残っているのが「何十年作り続けてきても、製品に満足せず、もっといいものを作る」ということでした。いつも次に作る物は、前よりもいい物をつくろうと思い、進歩の終わりを自分でつくらないよう心がけています。 | ||||||||||||
じいちゃんの頃に比べて、底や柄の角度などを微妙に変えて、現代の鍋でも使いやすいようにしているんです。 杓子って、土鍋料理にはもちろんですが、今の家庭料理にも意外と合うんですよ。金属のお玉に比べて、木製で分厚いので具材をつぶしにくく、煮物以外でも例えば、カレーとか、麻婆豆腐(マーボードウフ)、チャーハンなどでも使えるんですよ。 |
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今の目標は、使う人の事を考えて、とにかく良い物を作ることです。いつか、奈良県といえば、坪杓子と思われるような、シンボルになれたらいいですね。(笑) | ||||||||||||
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