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記紀を読んでみると、天皇の皇統に断絶の危機があったことがしばしば見受けられる。第二十二代清寧(せいねい)天皇はその一人で、皇后すら立てなかった。そのため、記のなかで、清寧天皇の時代は、ひじょうに不安定な時期としてえがかれている。 そうしたなか、王位を継承できる血筋の少年たちが、針間(はりま)国で偶然発見された。意祁命(おけのみこと)(後の仁賢(にんけん)天皇)と袁祁命(後の顕宗(けんそう)天皇)の兄弟である。にわかに後継者候補となった二人に対し、王権内ではいろいろと反発があったようだ。その現れなのか、政権トップの一翼として記される平群氏の志毘という人物が、袁祁命の求婚者を奪うという事態が起きた。といっても、実力行使ではなく、歌垣(うたがき)の勝負に持ち込んだのであった。 志毘は、菟田首等(うだのおびとひとし)の女(むすめ)である大魚(おうお)という女性の手を取り、まずは、袁祁命の大宮が傾いていると歌い、袁祁命との対決姿勢を示す(105)。しかし、袁祁命は、それを匠(たくみ)のせいにしてかわす(106)。つぎに志毘は、袁祁命程度では、私の邸宅に入る実力がないと、現実の権力勝負に出た(107)。すると袁祁命は、その名の通り、志毘を魚(マグロ)扱いした(108)。『日本書紀』において、鮪(まぐろ)の字でシビと読ませていることが参考になるであろう。 それに対し、志毘はいよいよ怒って、袁祁命の宮は長く続かないことを示唆するが(109)、袁祁命はあくまでも魚に喩(たと)えて、揶揄(やゆ)し続ける(110)。そして、闘い終えた翌朝に、袁祁命と意祁命が、隙(すき)を見計らい、軍を興(おこ)して志毘の邸宅を囲み、ついには殺してしまう。 この歌垣の舞台は不明である。ただ、『日本書紀』の方に類話があり、そこでは場所を海石榴市(つばいち)の巷(ちまた)と記す。登場人物は多少異なるが、いずれも平群のシビがかかわっていることからすると、記の舞台も海石榴市の巷の可能性を考えてよいかもしれない。しかし、いずれにしても、類似の伝承とはいえ、『日本書紀』の内容に比べて淡泊なのは否めない。類話において、『日本書紀』の方がよく参照される代表的な事例であろう。 |
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