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古事記を持って出かけたい*名所ガイド*あ天も降る神々上つ巻は天地の初めから、神々の営みを大らかにいきいきと物語り、中つ巻、下つ巻では、地上界・葦原中国の物語を綴るようになる。ここでは、奈良に伝わる神話....

古事記を持って出かけたい*名所ガイド*あ天も降る神々上つ巻は天地の初めから、神々の営みを大らかにいきいきと物語り、中つ巻、下つ巻では、地上界・葦原中国の物語を綴るようになる。ここでは、奈良に伝わる神話の伝承地や、中・下巻では珍しい神々の物語を紹介する。彷徨う太陽神・天照大御神元伊勢国中に蔓延した疫病を神まつりによって鎮めたと『古事記』にみまきいりひこいにゑのみこと記される御真木入日子印恵命(崇神天皇)。『日本書紀』は、より詳細にその神まつりについて記している。それによると、あまてらすおほみかみひばら檜原やまとおほくにたまのかみ神社おほものぬしのかみ天照大御神、倭大國魂神、大物主神を丁重にしかるべきところでしかるべき人が祀ることで災いが鎮まり、豊穣がもたらさあまてらすおほみかみれたという。天照大御神は以後、幾度も宮を遷しながら、ようやく伊勢神宮の内宮に鎮座するが、それまでの立ち寄り先を元伊勢と呼ぶ。あまてらす天照桜井市MAP?P30『日本書紀』は、「宮殿内に祀られあまてらすおほみかみかさぬいむらていた天照大御神を、笠縫邑にうとよすきいりびめのみことおほ大ひもろぎつして神籬を立て、豊鍬入姫命に奉斎させた」と記す。檜原神社はその伝承地の一つだ。鳥居越しに見る二上山へ沈む夕日は格別。中みかみ御神は鎮座の地を求とよすきいりびめのみことめて、まず豊鍬入姫命と共に、やまとひめのみことその後、倭姫命と共に各地を巡幸した。御杖神社には、やまとひめのみこと倭姫命がこの地を訪れた際に候補地のしるしとして杖を残したという伝説が伝わる。下書本紀上日御み杖つ神え社御杖村MAP?P31高天原伝承地御所市MAP?P31「白雲峯」と呼ばれる背後の美しい円錐たかみ形の山をご神体とする。祭神は高皇むすひのかみ産霊神(『古事記』では高御産巣日神)。天と地が別れて間もなく誕生した一神と記される。高天原から地上へ天降っにた邇高天原の神、地上に降り立つ御所市MAP?P31たかまひこ高天彦神社にぎのみこと邇芸命は、その孫にあたる。天孫降臨たかまのはら神話に彩られる『古事記』上つ巻。そこには、神々は天上界・高天原に住まうと記される。高天原を治める太陽神・天照大御神おほくにぬしのあしはらのなかつくにあまてらすおほ高天原の場所については、古来様々な推測がなされ、全国に伝承地が存在する。海上説や「人々の心の中にある」との説もあり、興味深い。金剛山の中腹に坐す高天彦神社の前に広がる台地一帯は、古来より高天原伝承地として伝えられる場所の一つ。神さびた空気が辺りを包む。みかみは、大国主神から地上界・葦原中国を譲り受けると、孫にあたるににぎのみこと邇邇芸命を地上に降らせ、葦原中国を統治させることにする。三種ににぎのみことの神器を授かった邇邇芸命は、地上までの道案内を申し出た国つさるだびこのかみひむか神・猿田毘古神らと共に、日向(南九州)の高千穂の峰に天降った。上中下11御所市MAP?P31かつらぎ葛ひとことぬし城一言主神社かつらぎさん葛城山山頂ひとことぬしの一言主大神は、一言で悪事も善事も言い放つ神として『古事記』に登場するが、現代では「願いを一言だけ聞き届けてくれる」神様として参拝者が訪れる。地元では「いちごんさん」と親しまれている。古来、神々の棲まう山として崇められた葛城山。山頂からは眼下に奈良と大阪の絶景が広がる。春には「一目百万本」のツツジ、冬は樹氷が楽しめる。御所市MAP?P31桜井市MAP?P31ひとことぬしの一言主大神は、共に狩りを楽しんだやまのくちはつせ天皇を、葛城山から長谷の山口まで見送ったという。天武天皇の時代に始まり、今も多くの参詣者で賑わう長谷こもりく寺。その本堂舞台から望む隠口の長おほはつせわかたけのひとことぬしの谷の風景は、一言主大神と大長谷若建みこと命の姿を甦らせてくれる。長谷寺大王と神が出会うとき一言主大神との邂逅行の身につけていた衣服を大神に献上したという。上一ひとことぬしの言主大神ぞ」。正体を知った天皇はかしこまり、大刀と弓矢、一中こう名乗る。「吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離つ神、葛城の下する自分と同じ姿をしている一団の無礼に天皇は怒るが、相手は行とそっくりな装束の一団と出会う。倭国の頂点たる者と自負葛かづ城らきの(現在山はかへつらぎと)出かけた大おほ長はつ谷せわ若かた建けの命みこと(雄略天皇)は、自分たち一?崇神天皇ゆかりの古社?墨坂神社や大坂山口神社は、『古事記』が記すおほものぬしすみさかの「大物主の祟りを静めるため、宇陀の墨坂神に赤色の楯矛を、大坂神に黒色の楯矛をそなえ祀った」という崇神天皇の御世の伝承を伝える古社。なお県内には、宇太水分神社や廣瀬大社をはじめ、崇神天皇を創始とする古社が数多い。11大坂山口神社(香芝市? P31)2墨坂神社(宇陀市? P31)3宇太水分神社(宇陀市? P31)4廣瀬大社(河合町? P31)234