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天あめの下した治しらしめしき。畝うね火びの白かし檮は原らの宮に坐しまして、伏まつはろぬ人ひと等どもを退そけ撥はらひて、言こと向むけ平や和はし、故、かく荒ぶる神かみ等どもを鳥見山(標高735m)の展望台から....

天あめの下した治しらしめしき。畝うね火びの白かし檮は原らの宮に坐しまして、伏まつはろぬ人ひと等どもを退そけ撥はらひて、言こと向むけ平や和はし、故、かく荒ぶる神かみ等どもを鳥見山(標高735m)の展望台からは宇陀地域の山々を一望、葛城の山並や大和三山も望むことができる。雄大な眺望と吹き渡る風は伊波礼毘古命一行の旅の舞台を味わうにふさわしい。(宇陀市/MAP?P31)1なったと『古事記』は語る。※3を営み、天下を治めることと伊い波は礼れび毘こ古の命みこはと、畝うね火びの白かし檮は原らの宮定し、敵対する者を次々と退けたこのようにして、荒ぶる神々を平い旅は終わりを告げたのであった。あることを示す宝物を差し出し、長ある)が帰順。同じ天つ神の御子でてあ天めの磐いわ船に乗って天から飛来したと本書紀』には伊い波は礼れび毘こ古の命みことに先立っも勝利し、ついには邇に芸ぎは速やひ日の命みこと(『日続いて兄え師木、しき弟お師とし木きとの戦いに那な賀が須す泥ね毘び古こをも討ち果たした。し、さらに兄・五いつせのみこと瀬命の仇敵である人として描かれた土つち雲ぐも八や十そた建けるを倒その後、忍おさ坂かの大おほむろ室にて尾のある苦難の末、初代天皇が即位たずねてみるのも、一興だ。クスである奈良県内各地の伝承地をケール感を胸に、物語のクライマッ誠に壮大。西日本全体に及ぶそのス16年以上かかっており、その行程は伊い波は礼れび毘こ古の命みこのと東への旅路は実に路は、困難極まるものであった。熊野からや倭まへとと向かう紀伊山地の険紀伊半島を迂回する進路をとるが、伊い波は礼れび毘こ古の命みこはと、兄の言葉の通り、げて絶命する。うが、五いつせ瀬命は無念の雄たけびを挙のみこと太陽を背負う陣形で敵を討つ」と誓立ち向かう形で戦っていた。今後は「私は日神の御子であるのに、太陽に受け、重症に。交戦した際、兄の五いつせ瀬命は手に矢をのみこと青雲の白しら肩かた津のつにて那賀須泥毘古とながすねびこ高島の宮から、さらに東へ。の多た祁けり理の宮へと。そして吉備※7の※5、筑紫の岡田の宮、阿あ岐きの国※6日向から筑紫※4、豊国の宇う沙さ味わい方のヒント1鳥見山山腹にある鳥見山公園の勾玉池。神武天皇聖蹟伝承地の碑や万葉歌碑も『古事記』を訪ねる旅に彩りを加えてくれる(宇陀市/MAP?P31)※3畝火の白檮原宮…奈良県橿原市畝傍山周辺の地※4筑紫…後の筑前・筑後※5豊国の宇沙…現在の大分県宇佐市※6阿岐国…現在の広島県※7吉備…現在の岡山県14