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古事記を持って出かけたい*名所ガイド*「東への旅路」、その残像をたどる伊波礼毘古命一行のその後。長き旅路の末に訪れた安息の日々。ここでは物語の世界観がさらに広がるエピソードやゆかりの地を紹介する。神武....

古事記を持って出かけたい*名所ガイド*「東への旅路」、その残像をたどる伊波礼毘古命一行のその後。長き旅路の末に訪れた安息の日々。ここでは物語の世界観がさらに広がるエピソードやゆかりの地を紹介する。神武天皇陵橿原市MAP?P29畝傍山北東の地に、神武天皇陵は治定される。『古おほよ事記』は、「凡そこの神倭伊波禮毘古天皇の御年、ももちまりみそぢまりななとせみはかかしを一百三十七歳。御陵は畝火山の北の方の白檮の尾の上にあり」と記す。かむやまといはれびこのみこと神武天皇こと神倭伊波礼毘古命は、昔話でも有名な上つ巻「山幸彦海幸彦」の主人公・山幸彦の孫にあたる。はるばる日向から16年以上の歳いはれびこのみこと月をかけて目的の地に足を踏み入れた伊波礼毘古命は、既存勢力を制うねびかしはらのし、畝火の白檮原宮において天下を治めたという。『日本書紀』にははつくにしらすすめらみこと「始馭天下之天皇」と称された旨が記される。橿原神宮橿原市MAP?P29いはれびこのみこと『古事記』は、伊波礼毘古命の物語を「畝火の白檮原宮に坐あめしたししまして、天の下治らしめしき」と締め括る。神武天皇が宮を営んだとされる場所に明治23年、橿原神宮が創建された。野鳥がさえずり、木漏れ日が降り注ぐ神宮を包む森で『古事記』やたがらす八咫烏神社と出かける憩いのひとときを過ごしたい。いはれびこのみこと伊波礼毘古命が熊野から紀伊山地の山々を越えて吉野川・宇陀へと至る険路を歩き切ることができたやたがらすのは、天から遣わされた八咫烏の導きによるもの。奈良時代の記録『続日本紀』に「八咫烏社」と記された八やたがらす咫烏神社。その化身が八咫烏であたけつぬみのみことるとされる建角身命をご祭神とする。熊野・宇陀地域で語り継がれいはれびこのみことがやたがらすた八咫烏の伝承は、伊波礼毘古命山塊を踏み穿ち越えてたどり着いたという宇陀の地に、古社の名とし宇陀市MAP?P31つきさかのむら築坂邑くめの伝承地と来久米寺目邑伝承地久米御県神社むら併せて訪れたい。県神社や伝説に彩られた久米寺もいう。両伝承地碑のそばの久米御い、隣り合うように住み着いたと命みことは来くめ目の邑むらよるとみ道ちのお臣みのに命みことそはれ築つきさかのむらぞ坂れ邑恩に賞、をもら大おほ久く米めの橿原市MAP?P29の祖先・大おほ久く米めの命みこと。『日本書紀』に大伴氏の祖先・み道ちのお臣みの命みことと、久米氏宇陀の兄え宇う迦か斯しの企みを阻止したて連綿と伝えられている。境内から鳥居越しに東方を望むと、古事記歌謡に歌われた伊那佐山がまるで絵画のように美しい。伊那佐山宮滝吉野町MAP?P31清らかな川の流れが絶えることのない吉野宮滝。大海人皇子(『古事記』『日本書紀』へとつながる歴史編纂事業を開始15いさがわ率川神社奈良市MAP?P29いすけよりひめ伊須気余理比売を祀る率川神社では、狭井河のほとりに咲き誇っていた笹ゆさいくさのまつりりにちなんで、「三枝祭・ゆりまつり」が毎年6月17日に執り行われる。河のほとりの伊い須す気け余よ理り比ひ売めの家で結ばれた。見初めて求婚する。二人は笹ゆりが咲き誇る狭井輪山に静まる大おほも物のぬ主しの神の子・伊い須す気け余よ理り比ひ売めを伊い波は礼れび毘こ古の命みこ。と野に遊ぶ7人の少女の中から、三平和が訪れた地にて大后となるべき女性を求めるする、のちの天武天皇)が、壬申うののさららのの乱の直前に妻の?野讃良皇女(のちの持統天皇)らと過ごした地。また、即位した持統天皇の宮滝行幸は三十数回にもいはれびこのみこと及んだという。伊波礼毘古命の旅の途中、吉野で出会ったにへもつゐひかいはおしわく贄持の子や井氷鹿、石押分の子。ユーモラスな姿で『古事記』に描かれたこれらの人々は、古代都人が憧れた「神仙境」吉野の聖なる住人として印象深い。桜の吉野山から吉野川を遡り、吉野宮滝の清流に彼らの姿を追い求めたい。