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ウワナベ古墳コナベ古墳磐之媛命陵(ヒシャゲ古墳)日本版「トロイの木馬」忍熊王の反逆上中下ゆっくりと語りかけてくる。墓の木立は、はるかな時の積み重ねを奈良市MAP?P29人の手が入らない原始の森のような陵も特....

ウワナベ古墳コナベ古墳磐之媛命陵(ヒシャゲ古墳)日本版「トロイの木馬」忍熊王の反逆上中下ゆっくりと語りかけてくる。墓の木立は、はるかな時の積み重ねを奈良市MAP?P29人の手が入らない原始の森のような陵も特徴。女性たちの陵墓とされる古墳が多いの石い之はの日ひ売めの命みことの陵など、『古事記』を彩るの后・氷ひ羽ば州すひ比め売の命みことや仁徳天皇の后・される神功皇后陵をはじめ、垂仁天皇さ佐が集中している。息おきや、円墳、方墳など大小長なが帯たら比しひ60あ売めまりのの命みことの陵とき紀古墳群古墳された200m超の巨大な前方後円墳天皇・皇后の陵墓や陵墓参考地に治定巣山古墳の周濠から出土した「喪船」として使用されたとみられる木製の船部材の複製品を組み合わせて、「喪船」を立体的に再現した復元喪船。船の全長は8mを超えるという。中国の歴史書『隋書』倭国伝に「倭国では葬るときに屍を船の上に置いて陸地でこれを引く」とあり、興味深い。(広陵町文化財保存センターにて展示)佐紀丘陵の縁辺に営まれた古墳群。もふね喪船広陵町MAP?P31成務天皇陵と日葉酢媛命陵にはさまれた閑静な小道たらしなかつひこの帯おきながたらしひめの中日子天皇(仲哀天皇)とその大后・みこと息長帯比売命(神功皇后)が遠征に赴いた時のこと。旅の途中で崩じた天皇に代わり、遠征中に誕生した御子(後の応やまと神天皇)を伴って倭に帰還する大后でおしくまのあったが、その帰りを拒むように忍熊王による企てが進められていた。しかし、不穏な動きを察知した大后は、死者もふねを運ぶための船である「喪船」に御子と兵を載せて、あたかも御子が亡くなったように見せかける。そこに、待ち構えておしくまのおしくまのいた忍熊王が戦いを仕掛けた。忍熊王はまず、兵卒が乗っていない喪船から攻めかかるが、空船と思い込んでいた喪船の中には伏兵が潜んでいて、思わぬ反撃に遭う。さらに、大后方の将軍・なにはねこたけふるくまのみこと難波根子建振熊命は、「大后は既に亡くなった」との風聞を流し、敵の油断を誘おしくまのい、忍熊王の軍が武器をしまい込んだ隙をつき、一気に攻めかかる。大后率いる軍の巧妙な計略により敗北おしくまのした忍熊王は、追い詰められた末、琵琶湖に身を沈めることとなった。16