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らし、叔母からもらった衣装を身に旋。任を果たした報告に父・天皇のなさい」。叔母の言葉を胸に、や倭まとたけるの建し、小をう碓すの命みことは結っていた髪を長く垂国の勇者・出いづ雲もた建けるをも討ち破り、凱....

らし、叔母からもらった衣装を身に旋。任を果たした報告に父・天皇のなさい」。叔母の言葉を胸に、や倭まとたけるの建し、小をう碓すの命みことは結っていた髪を長く垂国の勇者・出いづ雲もた建けるをも討ち破り、凱わすことがあれば、この嚢をお開け守られている。そこで策をめぐら小をう碓すの命みことこと倭建やまとたける命のみことは、帰路に出雲草くさなぎのたち薙剣と嚢ふくろを授けた。「危急に出く建たけ兄る弟とその館は精強な兵で厳重に涙を流す倭建父は私を愛しているのかやまとたけるの命みことに、倭やま比とひ売めの命みことはしかし旅の先、たどり着いた熊く曾まそでになるのです」。の兵を引き連れ、西国へと旅立つ。と、小をう碓すの命みことはとどめを刺した。になる。父は私の死を願っておい剣を携えた小をう碓すの命みことは、わずかばかりとにしよう」。そこまで聞き届けるさらに東国を平定するようお命じ命みかことら彼女の衣装をもらい受け、懐にい。これからはや倭まと建御子と称えるこたけるのみこ兵卒を賜ることのないまま、今度はた。伊勢神宮に仕える叔母・倭やま比とひ売めのだ。勇者よ、あなたに名前を献じたの任を果たしたばかりというのに、五、六。まだ髪を額で束ねる少年だっうやら我々よりも強い男がいたようおられるのでしょうか。西国征伐じる。小をう碓すの命みことはこのとき、年のころ十者はいない。しかし大やま倭との国にはど「父は私に早く死ねばいいと思ってに出征して熊くま曾そ建たけ兄る弟を討つよう命絞る。「西方に我ら兄弟をしのぐ強宮の叔母のもとを訪ねる。倭やまと建たけるの命みこ)との荒々しい気性を恐れ、西国める。息も絶え絶え、弟が声を振り悩み苦しむや倭まとた建ける命のみことは、再び伊勢神皇※1)は、息子の小をうす碓命(のちののみことを倒し、続いて、逃げる弟を追い詰過酷な命令に耳を疑う。大お帯ほた日ら子しひ淤こ斯おし呂ろ和わけ気の天皇(景行天る熊く曾まそ建たける兄弟の隙をつき、まずは兄「続いて東方を征伐せよ」。父からのへと潜入。美しい少女にのぼせ上がのは、あたたかな言葉ではなかった。美しき勇者、熊曾を討つ纏って少女になりすまし、兄弟の宴もとへ参内する。そこで待っていた3Episode中つ巻〔景行記〕死―父ねのと愛を思渇ほ望しすた、所哀しき勇者―上中下以ゆゑかあった。その後、東国の勇猛な神やの犠牲の上に苦しくも先へと進むのでてて渡海を阻むも、后・お弟とた橘ちば比なひ売めの命みこと賀水道)では、海峡の神が荒波を立を使い、難を逃れる。また、走水の海(浦薙剣と嚢の中に入っていた火打ち石に遭いながらも、叔母から授かった草相さが武むの国※2では、く国にのみ造やつこ※3の策謀東国出征に落ちる暗い影と旅立った。命みはこと旅の疲れも癒えないまま東国へけいこう※1景行天皇…第12代天皇※2相武国…今の神奈川県。『日本書紀』には駿河(静岡県)のこととある。※3国造…地方官景行天皇纒向日代宮跡伝承地碑。纒向遺跡など周辺の発掘調査の成果は桜井市立埋蔵文化財センターにて展示されている。倭建命や景行天皇の食卓に並んだ器もあるかも。想像はどこまでも膨らむ(桜井市/MAP?P30)18