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髻う華ずに插せその子熊く白まか檮しが葉を疊たたみ薦こも平へぐ群りの山の命いのち全またけむ人は山やま隱ごもれる倭しうるはしたたなづく靑あを垣かき倭やまはと國のまほろばのぼの琴弾原白鳥陵周辺からの眺望。『....

髻う華ずに插せその子熊く白まか檮しが葉を疊たたみ薦こも平へぐ群りの山の命いのち全またけむ人は山やま隱ごもれる倭しうるはしたたなづく靑あを垣かき倭やまはと國のまほろばのぼの琴弾原白鳥陵周辺からの眺望。『日本書紀』では、能褒野を飛び立った倭建命の魂である白鳥は、倭の琴弾原、河内の旧市邑に舞い降り、その後、天の彼方へと飛び去ったとされる。眼前にそびえる葛城山系の山並みの向こうへ白鳥は飛び去った(御所市/MAP?P31)全長約300mもある渋谷向山古墳は『古事記』に「御陵は山邊の道の上にあり」と記された、倭建命の父・景行天皇の陵とされる。陵に接する山の辺の道からの眺望がすばらしい(天理市/MAP?P30)く伊吹山の神自身だったのである。実はこの白い猪は神の使いではな気を失うほど打ちのめされた。しい雹、霰が降り注ぎ、や倭まとた建ける命のみことは正と、言い放って先を急ぐ。すると激だ。今でなくとも帰りに殺してやる」会う倭建やまとたける命のみこと。「これは山の神の使いで牛の大きさほどもある白い猪と出たまま。山のほとりまで来たところびていた草薙剣を比ひ売めのもとに置いに出かける。これまでいつも腰に帯倭やまとたけるの建命みことは伊吹の山※4の神を討ちしかし、穏やかな日々も束の間、美み夜や受ず比ひ売めと結婚する。知県)に戻ってきたとき、その地の姫・く。甲斐、科しな野の国を越えて尾張国(愛人々を降くだし、ようやく都への帰途に着を終えるのであった。勇者は故郷の風景を胸にその短い生最後の歌を歌い終わると、哀しきた草薙の大刀よ…」。る雲よ…」。「姫のところに置いてき「懐かしい我が家の方から湧き上が倭やまとた建けるの命みことはいよいよ危篤に陥る。人々よ」。の樫の葉を挿かざ頭しに挿す※8とよい、「命の無事な人々は、平へぐ群り※7の山が故郷よ」。りあった山々が取り囲む、麗しき我場所。青々とした垣根のように重な「倭やまはと国の中でもっとも素晴らしい胸にこみ上げてくる。や倭まとた建ける命のみことは歌う。※6へと至る。ふいに故郷への思いがにじむ。杖をつきながらも能の煩野ぼのまならぬとは」。体が重い。苦悩が足がいうことをきかず、歩くのもまほどであるのに、どうしたことだ。「私の心はいつも空を羽ばたきゆくたどり着く。どうにか下山し、当た芸ぎ野の※5へと望郷の念が悲しく響く胸中をしのび、その故郷を訪ねたい。命み。こと「まほろば」とことほいだ彼のらも、ついに異国の地に果てたや倭ま建とたけるの年の苦悩だ。望郷の念に駆られなが語を貫くのは、父の愛を渇望する少改めて『古事記』を読み返すと、物英雄というイメージがある。しかし、「やまとたける」には勇猛果敢ななってしまったという。へと飛び去り、ついに姿が見えなく志し幾き※9に降り立った後、再び天空を追う。白鳥はいったん、河かわ内ちの国の去った。皆、泣きながら必死であと空を駆け上がり、浜の方へと飛びと倭建やまとたける命のみことの魂は大きな白鳥となって造り、その死を嘆き悲しんだ。するの人々は能煩野まで駆けつけ、墓を訃報が倭やまへと届くと、や倭まとた建ける命のみことに有縁味わい方のヒント12※4伊吹の山…滋賀県と岐阜県の境にある※5当芸野…岐阜県養老郡※6能煩野…三重県鈴鹿郡※7平群…奈良県生駒郡※8樫の葉を挿頭に挿す…生命力を自分に寄り付けるための呪術※9河内国の志幾…大阪府南河内郡琴弾原白鳥陵。白鳥となった魂が降りた地に造られたとする。『日本書紀』の記述から「白鳥三陵」と呼ばれ、当地はその一つとされる(御所市/MAP?P31)20