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飛鳥浄御原宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)(高市郡明日香村/MAP?P29)。この地はまさに歴史の重心。天武天皇が歴史編纂の開始を命じる姿が目に浮かんできそうだ僞いつりはを削り實まこをと定めて、後のち葉のよに流つたへ....

飛鳥浄御原宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)(高市郡明日香村/MAP?P29)。この地はまさに歴史の重心。天武天皇が歴史編纂の開始を命じる姿が目に浮かんできそうだ僞いつりはを削り實まこをと定めて、後のち葉のよに流つたへむと欲おもふ。」故かれこれ、帝紀を撰???、舊辭を討たう覈かく??て、これすなはち、邦家の??緯、王化の鴻こう基きなり。未だ??????を????ず??て??の旨むね滅びなむとす。今の時に當たりて、其のあ失やまをり改めずは、多く?僞を加ふ。』といへり。『諸家の?もたる帝紀?び本辭、?に正實に違たがひ、「朕われ聞きたまへらく、伝えようと思う」。を考究し、正しいものを定めて後世に化の基本であるから、今こそそれら国家行政の根本組織であり、天皇徳しまうであろう。『帝紀』と『本辞』はたずに、言い伝えの本旨は滅び去ってその誤りを正さなかったら、幾年も経を加えているものも多いと聞く。今※2はもはや真実と違っており、虚偽り伝え持っている『帝紀』※1と『本辞』「私が聞くところでは、諸家が先祖よ天皇の言葉をこのように記す。思われる。『古事記』序文は、天武とつながる歴史書の編纂を命じたとると考え、『古事記』『日本書紀』へる支配の正当性を裏付ける必要があ石なものとするためには天皇家によ期。天武天皇は、国家体制をより盤央集権国家が確立されつつあった時7世紀後半は、天皇を頂点とした中み、翌年、天武天皇として即位する。子は、飛鳥の地に飛あす鳥かき浄よ御みは原らの宮を営乱「壬申の乱」に勝利した大海人皇672年に起きた古代最大の内味わい方のヒント12てみてはいかがだろうか?が誕生した古代社会の大局を追想し事が出来る最古の歴史書、『古事記』軌跡をたどり、現在の私達が触れる奈良盆地を北上した。これら三都の都は飛鳥から藤原京、平城京へと、企画から完成まで約30年。その間、れた。事記』は完成し元明天皇へと奏上さ銅五年(712年)1月28日、『古物語の撰録を安や万すま侶ろに命じる。翌和9月18日、阿あ礼れが誦む神話や伝説、た元明天皇は和銅四年(711年)その後、天武天皇の遺業を継承しままだった。『古事記』は時が過ぎても未完成の武天皇が崩御し、編纂事業は中断。『本辞』を誦み習わせた。しかし天級官人)である稗ひえ田だの阿あ礼れに『帝紀』・天武天皇はまず、側近の舎人(下あまかしの12甘樫丘(高市郡明日香村/MAP?Pあまかし29)『古事記』には「甜白檮」などの表記で垂仁天皇や允恭天皇の記事に登場。展望台からは飛鳥の里を一望、大和三山をはじめ遠く葛城山系まで見渡せる※1帝紀…各天皇の即位から崩御に至る皇室の記録※2本辞…神話・伝承・歌謡を収めたもの6