歴史体感 日本書紀


歴史体感日本書紀
仏教伝来
 朝鮮半島では、百済(くだら)、新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)の三国が長く争い、百済は日本にたびたび支援を求めてきた。日本は百済から新しい文化や技術を取り入れようと、互いに交流する中、遠くインドで生まれた仏教が百済を通じて日本に伝えられたのだ。
 しかし、国に仏教を取り入れたい蘇我(そが)氏と、日本古来の神々をまつる物部(もののべ)氏の間で争いが絶えなくなった…。
 仏教が受け入れられるまでには長い時間がかかるかもしれないが、私は、仏教によって日本がよりよい国になると信じている。
厩戸皇子(うまやとのみこ)(聖徳太子(しょうとくたいし))
『日本書紀』によるプロフィール
用明(ようめい)天皇の皇子
生まれてすぐに言葉を話した
一度に十人の話を聞き分けられた
後に推古天皇の摂政となり政治をした
蘇我氏、物部氏の争い
 欽明(きんめい)天皇13年(552年)、百済の聖明王(せいめいおう)の使者が、欽明天皇に金銅の仏像や経典、仏具などを献上しました。欽明天皇は仏教の教えを大変よろこび、仏像をまつって仏教を取り入れるかどうかを決定するため、臣下にたずねました。
 ところが、賛成する臣下(大臣)の蘇我稲目(いなめ)と反対する臣下(大連)の物部尾輿(おこし)は激しく対立します。両者の争いは、それぞれの子である蘇我馬子(うまこ)、物部守屋(もりや)の親子二代にわたり、ますます激しくなっていったのです。
 時は流れ、用明天皇2年(587年)、ついに蘇我馬子は皇子たちや群臣とともに、物部守屋を滅ぼすことを計画しました。両軍の激しい争いで一時は劣勢となった馬子軍でしたが、馬子とともに戦う厩戸皇子(聖徳太子)が四天王の仏像を作り戦勝を祈願。すると馬子軍は勢いを取り戻し、守屋軍に勝利しました。蘇我氏が勝利したことで仏教が取り入れられ、この後、法興寺(飛鳥寺)や四天王寺、法隆寺などが建てられたのです。
「記紀・万葉プロジェクト」からのお知らせ
県では、『日本書紀』完成1300年にあたる2020年に向けて、『日本書紀』を中心とした取り組みを進めています。
『日本書紀』に登場する人物やエピソード、ゆかり地などを紹介した冊子「なら記紀・万葉名所図会(ずえ)日本書紀・歴史体感編」では、上記のエピソードを詳しく紹介しています。
配布は下記
で。(1人1部)。

『日本書紀』のエピソードを映像でわかりやすくご紹介
「奈良まほろまん」仏教伝来 ~人々の葛藤~
『日本書紀』の中の興味深い11のエピソードを映像化した「奈良まほろまん」。県内各地に残るゆかり地の美しい風景やイラストが楽しめます。こちらも、ぜひご覧ください。


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