今回の歌は、大海人皇子(後の天武(てんむ)天皇)が額田王(ぬかたのおおきみ)に贈った一首です。この歌の前に、額田王は「あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る」(あかね色をおびる、あの紫の草の野を行き、その御料地の野を行きながら、―野の番人は見ていないでしょうか。あなたは袖をお振りになることよ。)と詠んでいます。袖を振ることは、古代では相手の魂を呼びよせる呪術的な行為とされ、相手の心をひきつけようとする、求愛の行為とみなされました。その大胆な行動に驚く額田王に対して、大海人皇子は、たとえあなたが「人妻」であっても恋しく思うのだという、熱烈な愛の歌を返します。 この歌が詠まれたのは、天智(てんじ)天皇の蒲生野(がもうの)(現在の滋賀県、琵琶湖の東南部)での遊猟(ゆうりょう)の時です。今回の歌の左注には、『日本書紀』の天智天皇七(六六八)年五月五日の蒲生野での遊猟の記事が引用されています。五月五日に野に出て鹿を狩るこの行事は「薬猟(くすりがり)」とも呼ばれ、早くは推古(すいこ)天皇の時代に記録がみえます。猟(かり)は、王と臣下との主従関係を確認する、儀礼的な行事でもありました。 また、「薬猟」では狩猟だけでなく薬草などを採ることもあったようです。今回の歌で詠まれている「紫草」は、当時貴重な植物とされ、額田王の歌に「標野」(他人が入ることを禁じた野。ここでは天皇の御料地)とあることから、「標野」における「紫草」の採集も行われたのでしょう。 この歌の「人妻」という言葉から、額田王を天智天皇の妻とする見方もありますが、額田王が天智天皇の妻であったという歴史的な記録はありません。そもそも、この歌は相聞(そうもん)歌ではなく雑歌(ぞうか)(儀礼の時の歌)に分類されています。額田王をめぐる三角関係を想起させる歌ですが、現在では、遊猟の後の宴席における戯れの歌であるという理解が支持されています。 (本文 万葉文化館 大谷 歩)
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