奈良のむかしばなし

県民だより奈良 平成30年9月号

奈良のむかしばなし
弁慶の力釘
文・山崎しげ子

 吉野山は、桜の名所として有名だが、また源義経、後醍醐天皇などが登場する物語の舞台としても知られ、遺跡も多く残る。
 今回は、吉野山の吉水神社に伝わる弁慶の力自慢のお話。

 昔、義経の家来に弁慶という怪力無双の大男がいた。義経一行は兄の源頼朝に疎まれ、彼の刺客に追われていた。義経一行が吉水院にかくまわれていると知った頼朝の追手は、建物の外から大声で喚いた。
 「義経、出てまいれ!」
 それを聞いた弁慶は、顔を真っ赤にして、そばにあった釘二本を抜いて表に出るや、大声で叫んだ。
 「やあやあ、我こそは弁慶なり。力試しをいたそうぞ!」
 そして、追手たちのど真ん中にあった岩に、全身全霊の力を込めて親指で釘二本を打ち込んだ。
 弁慶の形相と怪力を目の当たりにした追手たちは、蜘蛛(くも)の子を散らすように逃げ去ったそうだ。

 吉水神社の境内に今も「弁慶の力釘」が残されている。
 平安時代の終わり、源氏と平氏の戦いで、義経は、鵯越(ひよどりご)えの奇襲や壇ノ浦の合戦で平氏滅亡に大きな手柄をたてた。だが、その後頼朝に追われ、各地を流浪して吉野山へ。
 吉水神社は、もとは吉水院といい、金峯山寺の格式高い僧坊だった。その吉水神社の書院に「義経潜居の間」「弁慶思案の間」など義経伝説にちなんだ部屋がある。建物は室町時代の改築。
 義経は、最後に奥州の藤原秀衡を頼ったが、その子泰衡に襲われ、三十一歳という若さで討死した。義経をかばい、弁慶も全身に無数の矢を受け立ったまま絶命したといわれる。
 中千本にある吉水神社の境内からは、春は「一目千本」の見事な桜が望めるが、晩秋はことにその紅葉が美しい。吉野山全山が華やかな桜紅葉に包まれる。

歴史上の人物ゆかりの地
 吉野は、源義経が弁慶と身を潜めた場所であり、後醍醐天皇による南朝の始まりの地でもある。
 吉水神社は、約1300年前に役行者により創建されたとされ、日本住宅建築史最古の書院として世界遺産に登録されている。後醍醐天皇が延元元年(1336年)に南朝を興したときには、吉水院(吉水神社)が皇居となった。書院内では、義経や後醍醐天皇ゆかりの展示がされている。境内の岩には、弁慶が二本の釘を打ったとされる釘跡もある。
吉水神社
物語の場所を訪れよう
吉水神社(吉野町吉野山)へは…
近鉄吉野駅より徒歩約2.6km
吉水神社の周辺地図
吉水神社
電話 0746-32-3024
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