吉野山は、桜の名所として有名だが、また源義経、後醍醐天皇などが登場する物語の舞台としても知られ、遺跡も多く残る。 今回は、吉野山の水神社に伝わる弁慶の力自慢のお話。
*
昔、義経の家来に弁慶という怪力無双の大男がいた。義経一行は兄の源頼朝に疎まれ、彼の刺客に追われていた。義経一行が水院にかくまわれていると知った頼朝の追手は、建物の外から大声で喚いた。 「義経、出てまいれ!」 それを聞いた弁慶は、顔を真っ赤にして、そばにあった釘二本を抜いて表に出るや、大声で叫んだ。 「やあやあ、我こそは弁慶なり。力試しをいたそうぞ!」 そして、追手たちのど真ん中にあった岩に、全身全霊の力を込めて親指で釘二本を打ち込んだ。 弁慶の形相と怪力を目の当たりにした追手たちは、蜘蛛(くも)の子を散らすように逃げ去ったそうだ。
水神社の境内に今も「弁慶の力釘」が残されている。 平安時代の終わり、源氏と平氏の戦いで、義経は、鵯越(ひよどりご)えの奇襲や壇ノ浦の合戦で平氏滅亡に大きな手柄をたてた。だが、その後頼朝に追われ、各地を流浪して吉野山へ。 水神社は、もとは水院といい、金峯山寺の格式高い僧坊だった。その水神社の書院に「義経潜居の間」「弁慶思案の間」など義経伝説にちなんだ部屋がある。建物は室町時代の改築。 義経は、最後に奥州の藤原秀衡を頼ったが、その子泰衡に襲われ、三十一歳という若さで討死した。義経をかばい、弁慶も全身に無数の矢を受け立ったまま絶命したといわれる。 中千本にある水神社の境内からは、春は「一目千本」の見事な桜が望めるが、晩秋はことにその紅葉が美しい。吉野山全山が華やかな桜紅葉に包まれる。
スマホアプリ「マチイロ」でも電子書籍版がご覧になれます。 詳しくはこちら
電子書籍ポータルサイト「奈良ebooks」でもご覧になれます。 詳しくはこちら