壬申(じんしん)の乱が平定された後の歌と題された二首のうちの第一首です。壬申の乱とは、天智天皇亡き後に、子の大友皇子(おおとものみこ)と弟の大海人皇子(おおあまのみこ)(後の天武天皇)との間で起こった皇位継承争いであり、古代最大の内乱といわれています。結果は大海人皇子側が勝利し、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位しました。作者である大伴御行は、壬申の乱で功績をあげ、大伴氏の繁栄の基礎を築いたといわれる人物です。 「大君は神にし坐せば」とは、天皇の偉大さをたたえる特別な表現で、後の句に人間では実現不可能な神わざを詠むことで神性さを強調します。この歌でも、馬の脚が沈み込むような深い田んぼを整地して都にしてしまった、と詠んでいます。天武天皇の宮があった明日香村岡の辺りには舒明(じょめい)天皇以降に歴代の天皇宮が営まれていた形跡があり、実際に田んぼが広がっていたわけではないようです。しかし、続く四二六一番歌でも「水鳥のすだく水沼」を都にしたという神わざが表現されており、壬申の乱の平定はそれほどの偉業と認識されていたことがわかります。同様の表現は巻三・二四一番歌などにもみられ、天武・持統両天皇の時代に特徴的な表現であることが指摘されています。 さらに、この歌には天平勝宝四(七五二)年二月二日に聞いて書き記した、という注も付されています。六七二年に起こった壬申の乱からちょうど八十年後にあたり、実際に体験した人はもういなかった可能性が高いですが、何らかの契機があって記憶が呼び覚まされたとみられます。平城京遷都後に古京・飛鳥を懐かしんだ歌がほかにも見られることを踏まえると、皇統のルーツとして天武天皇が回顧され、改めて顕彰されたと考えられます。 (本文 万葉文化館 井上さやか)
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