はじめての万葉集

県民だより奈良 平成30年11月号

はじめての万葉集
河の上(へ)の ゆつ岩群(いはむら)に 草生(くさむ)さず
常(つね)にもがもな 常処女(とこをとめ)にて
吹黄刀自(ふきのとじ)
巻一 二二番歌
【訳】 川のほとりの聖石には苔もはえていない。
あのようにいつも変わらずにありますように。永遠の少女(おとめ)として。
「とこをとめ」 への願い

 今回は、「ゆつ岩群」に触発され、永遠の少女であるようにと願った歌をご紹介します。「岩群」につく「ゆつ」は、祭祀具「斎串(ゆ(い)ぐし)」などの「ゆ」と同じで、神聖なものを表すとされています。作者は、川辺で長い年月を過ごしているにも関わらず、苔むしていない石に聖性を感じたのでしょうか。この不変の聖石のように、永遠に少女であることを願い、歌っています。
 この歌は、歌が詠まれた状況を説明した題詞によると、十市(とおち)皇女が伊勢神宮に参った際に、「波多(はた)の横山(現在の三重県津市一志町付近か)」の巌(いわお)を見て吹黄刀自が作った歌とあります。また、歌の後に付された注では、天武四(六七五)年二月に、十市皇女と阿閉(あへ)皇女が伊勢神宮に参ったという『日本書紀』の記事が紹介されています。
 これらのことから、この歌は天武四年に皇女たちが伊勢神宮に参向した際に、供の女官である吹黄刀自が詠んだ歌だと推測できます。
 十市皇女は天武天皇と額田王の娘で、壬申の乱で敗北した大友皇子の妻だった皇女です。阿閉皇女は天智天皇の娘で、草壁(くさかべ)皇子の妻となり、後に軽王(文武天皇)を生み、自身も元明天皇として即位した人物です。この時はまだ十四歳でした。吹黄刀自がこの歌を薄幸な十市皇女や年若い阿閉皇女のために詠んだのか、自身のために詠んだのかは分かりません。ですが、皇女たちの旅路に歌が彩りを添えていたようすが伝わってきます。
 吹黄刀自は、他にも巻四―四九〇・四九一番歌を詠んでいますが、『日本書紀』には記録がありません。『万葉集』は、正史に記されることのない、人々のこうした細やかな活動や願いを具体的に伝えてくれています。
(本文 万葉文化館 吉原 啓)

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 桜井市を通る初瀬街道は、壬申の乱の際に大海人皇子(天武天皇)が通った道とされ、古代から大和と伊勢神宮とを結ぶ道路の中で、比較的平地が多い街道としてよく利用されてきました。
 また、江戸時代には国文学者の本居宣長も歩いたとされ、そのようすは彼の著書「菅笠日記」にも記されています。
初瀬街道
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