今回の歌は、天武(てんむ)天皇の時代に、麻続王(おみのおおきみ)という人物が罪によって伊勢国の伊良虞(いらご)の島に流された時に、ある人が哀傷して作ったと伝えられている一首です。「伊良虞の島」は所在未詳ですが、現在の愛知県の渥美半島先端の伊良湖岬(いらごみさき)とする説や、伊良湖岬西方の神島とする説があります。 麻続王は伝未詳の人物です。『日本書紀』天武天皇四(六七五)年四月条には、時に三位であった王を流罪にしたとありますが、何の罪であったかは不明です。『日本書紀』では王を因幡(いなば)国(現在の鳥取県)に流したとあり、さらに二人の子どもをそれぞれ「伊豆(いず)の島」と、現在の長崎県五島列島の島とされる「血鹿(ちか)の島」に流したと記されています。また、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』行方(なめかた)郡条には、麻続王が板来(いたく)村(現在の茨城県潮来(いたこ)市の一部)に追放されて住んでいたという伝承も記録されています。 歌の「打つ麻(そ)を」は「麻続(をみ)(「麻績」とも書きます)」の枕詞(まくらことば)で、麻(あさ)は打って繊維を柔らかくして糸に績(う)む(糸による)ことから、「麻続王」にかかります。高貴な身分である王が流罪になった上に、あろうことか海人(あま)ででもあるかのように島の藻を刈っていらっしゃるーそのような悲哀と同情からこの歌が詠まれ、王の伝承と共にうたい継がれていったものと思われます。 王が実際はどこに配流されたのか、興味は尽きません。ですが、伊勢・因幡・常陸のような広範囲において、一人の人物をめぐる歌や伝承が残されていることにこそ、この作品の価値があるように思われます。この作品は、古代の伝承世界を知る貴重な手がかりとして注目されています。 (本文 万葉文化館 大谷 歩)
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