この歌は、「天皇崩(すめらみことかむあが)りましし時の太上天皇(おほきすめらみこと)の御製歌(おほみうた)二首」のうちの一首です。「天皇」とは天武天皇を、「太上天皇」とは持統天皇を指しているといわれています。つまり、天武天皇が崩御した際に鵜野讃良(うののさらら)皇后(後の持統天皇)が詠んだ歌ということになります。 神山にたなびく雲とは、天武天皇の霊魂や面影を表現しているのでしょうか。『万葉集』には「春日(かすが)なる三笠の山に ゐる雲を 出(い)で見るごとに 君をしそ思ふ」(春日にある三笠の山にかかる雲を、出て見るたびにあなたをこそ思うよ。/巻十二・三二〇九番歌)という歌などがあり、雲に人の面影を託すことがあったようです。その雲が星や月から離れていってしまうと詠まれており、天武天皇との惜別の情が伝わってきます。 天武天皇は、古代日本最大の内乱といわれる壬申の乱で勝利したことによって強大な権力を掌握し、その権力をもって律令国家の建設を強力に推し進めた人物でした。藤原京の建設、律令の撰定、そして『日本書紀』の編纂(へんさん)も天武朝から計画されていました。 天武天皇はまた、占星台を建設するなど、天文暦法の習得にも熱心だったとされます。星を詠んだ万葉歌人はあまり多くないといわれる中で、持統天皇がこの歌に星を詠み込んでいることには、亡き夫への思いがあったのかもしれません。 持統天皇は、壬申の乱でも天武天皇と行動を共にし、皇后としても夫君の治世を支えた人物です。天武天皇崩御後に自身が即位してからも、新たな暦の導入など、天武天皇同様に天文暦法を踏まえた政策を行います。この歌からは、律令国家の建設という志を共にした二人の関係性の一端がうかがえるように思われます。 (本文 万葉文化館 吉原 啓)
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