天理市のほぼ中央にある守目堂町。今回は、その地名の由来となった観音様の有難~いご利益のお話。
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昔、森面堂(もりめんどう)村に貧しいながらも幸せに暮らしている夫婦がいた。 ある日、夫が田んぼから帰ると、突然、「何も見えへん。お前はどこや」と言い出すではないか。驚いた妻が夫の顔を覗き込んだが、夫は両手で目をこすり、「見えへん。真っ暗じゃ」と嘆くばかり。 妻は近くの白山(はくさん)神社に観音堂のあることを思い出し、三・七・二十一日の願掛けを始めた。しかし、二十一日目の満願の日になっても夫の目は良くならない。妻は「もう一回」と、また一心不乱に祈り続けた。 が、二回目の満願の日が来ても夫の目はまだ同じ。今度は夫婦そろって「夫の目が治るまで」と、お参りを続けた。 そうしたある日、夫は「あっ、目が見える。お前の顔も」と大声で叫んだ。二人は、これも観音様のお陰と涙を流して喜びあった。 以来、森面堂という地名が、誰言うとなく、目を守ってくださるお堂として守目堂となったそうだ。
この観音堂は、古くは同町の白山神社の神宮寺で、明治八年頃に現在地に移されたという。かつて、お堂の周辺には稲田が一面に広がっていたそうだが、今は、民家、集合住宅、駐車場に埋もれ、それと気づかず通り過ぎてしまいそう。 とはいえ、お堂は簡素ながら屋根は宝珠(ほうじゅ)を戴(いただ)く宝形造り。堂内の須弥壇(しゅみだん)に祀(まつ)られた霊験あらたかな十一面観音立像。木彫に金箔が押された端正な立ち姿で、高さ約一メートル。胸飾りや翻(ひるがえ)る天衣(てんね)も美しい。 観音像の前に十五畳の畳敷きの広間があり、天井からは大きな天蓋も。 このお像とお堂を、地域の有志七人が今も大切にお守りしている。最高齢の方は百歳とか。 月一回、掃除、お供え、御詠歌(ごえいか)でのお勤めを欠かさない。年末年始はとくに丁寧に。 餅、みかん、松飾りなどを準備し、正月にはお勤めのあと、須弥壇奥にある小部屋で雑煮、煮しめ料理を頂いて新年を祝い、観音様に皆の健康長寿と幸福を祈る。 町なかで、ひっそりと祀られている十一面観音立像。今日も、目の病気やあれこれと悩める人たちの参拝を慈悲の心で待っておられる。
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