今回の歌の作者・志貴皇子は天智(てんじ)天皇の皇子で、壬申(じんしん)の乱で大海人皇子(おおあまのみこ)(後の天武(てんむ)天皇)に破れた大友皇子(おおとものみこ)の異母兄弟にあたります。志貴皇子は、壬申の乱の後、天武八(六七九)年五月に天智天皇と天武天皇の皇子たちが吉野に集い、協力を誓った六皇子の盟約(めいやく)にも参加しています。藤原京と平城京の二度の遷都(せんと)を経験するなど、激動の時代を生きた人物であり、また優れた歌人でもありました。 今回の歌は、夏の雑歌に分類された一首です。「神名火」は神のいる神聖な場所という意味で、磐瀬の森のホトトギスが、毛無という名の岳に来て鳴くことを待ち望む気持ちが詠まれています。「磐瀬の社」のホトトギスが鳴くことを詠む歌は他にもあり(巻八・一四七〇番歌)、ホトトギスの名所だったのかもしれません。「磐瀬の社」は所在未詳で、斑鳩町の三室山の東方(稲葉車瀬付近)という説や、三郷町立野の大和川北岸の森とする説など、諸説あります。また、「毛無の岳」も所在未詳で、法隆寺の北方の毛無池付近とする説や、三郷町の信貴山下駅付近とする説などがあります。いずれも、現在の斑鳩町・三郷町周辺の土地であろうと思われ、皇子とゆかりのあった場所ではないかと推測されています。 『万葉集』でホトトギスを好んで詠んだ歌人は、奈良時代の大伴家持(おおとものやかもち)が知られており、家持はホトトギスの鳴き声を聞くことに大変な関心を寄せていました。家持は志貴皇子が亡くなった霊亀二(七一六)年(『続日本紀』による)からほどなく、養老二(七一八)年頃に生まれたと考えられていますので、直接の接点はありません。ですが、このようにホトトギスの鳴き声を心待ちにする二人の歌をみると、歌の伝統や自然へのまなざしは、途切れることなく受け継がれているのだと感じます。万葉歌人たちがうたい継いだホトトギスの鳴き声に、みなさんも耳を傾けてみてはいかがでしょうか。 (本文 万葉文化館 大谷 歩)
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