奈良盆地ではそれほど雪が降らないので、積もれば写真でも撮りたくなりますね。今回は雪をテーマにした天武天皇の歌です。 勇ましいイメージがある天武ですが、歌が『万葉集』に五首収められています。まだ兄の天智が天皇だった時、別れた妻である額田王(ぬかたのおおきみ)に「人妻ゆゑに我(あれ)恋ひめやも」と歌う歌(巻一・二一番歌)。物思いにふけりながら吉野の山道を歩いたものだと、感慨深く思い出す長歌(巻一・二五〜二六番歌)。そして、天武八年の「吉野の盟約」(持統と皇子(みこ)たちを吉野に連れて行き、争いを起こさないと誓いを立てさせた)の折に詠まれた「よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見」(巻一・二七番歌)。以上四首は巻一「雑歌(ぞうか)」という部分に収められています。 今回の歌は、天武の歌で唯一、巻二「相聞(そうもん)」(恋の歌)に入っています。五十歳弱の天武が二十歳弱の藤原夫人(ふじわらのぶにん)(鎌足の娘・五百重(いおえ)だといわれています)に賜った歌です。まだ新しい飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)周辺に大雪が降ったが、五百重の住む大原という古びた里にはまだ降らないだろう、という自慢の歌です。ただここで重要なのは、天武の宮と大原(現・明日香村小原(おおはら))はその距離およそ七百メートルの近さ、いわば隣町で、宮から北東に見えるのです。 続いて藤原夫人は、「我が岡の龗(おかみ)に言ひて降らしめし雪の砕けしそこに散りけむ」(わたしがこの岡の龍神に言いつけて降らせた雪の砕けたのが、そこにちらついたのでしょう/巻二・一〇四番歌)と負けずにこたえています。 二人の間には天武にとって十番目の男子、新田部皇子(にいたべのみこ)が誕生しますが、この歌と誕生の前後関係は分かりません。初々しさを感じる気もしますが、どうでしょうか。 言い合いながらも和やかな二人と、美しい雪の日が想像されます。 (本文 万葉文化館 阪口由佳)
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