天武(てんむ)・持統天皇(じとうてんのう)が合葬されている、天武・持統天皇陵古墳(檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ))
巻第二十九「天武天皇」
巻第三十「持統天皇」
法制度の確立
673年、大海人皇子(おおしあまのみこ)(のちの天武天皇)は、壬申(じんしん)の乱(らん)に勝利し、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位しました。
天武天皇は役人の登用法や考課制度、八色(やくさ)の姓(かばね)など、多くの規則を定めました。中でも二十二巻から成る「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」は、現存せず不明な点が多いものの、国家の基礎となる行政法・民法にあたるような内容のものであり、その後の法制度にも影響を与える重要な事項が定められたと考えられています。天武天皇は完成前に崩御しますが、皇后であった持統天皇が689年に施行しました。
その後も唐に倣(なら)った律令編纂(りつりょうへんさん)の作業は引き継がれました。天武・持統天皇の孫である文武天皇(もんむてんのう)は、刑部親王(おさかべしんのう)と藤原不比等に律令編纂を命じ、701年、ついに日本史上で初めて律(刑法)と令(行政法)がそろった体系的な法典「大宝律令(たいほうりつりょう)」が完成しました。これにより天武天皇が目指した古代国家建設事業は、画期的な局面を迎えることとなりました。
飛鳥池工房遺跡(あすかいけこうぼういせき)(明日香村飛鳥)
飛鳥寺東南の谷あいで見つかった7世紀後半から8世紀初めにかけての古代の総合工房遺跡。東側には銅・鉄・漆などの工房、西側には金・銀・ガラスの工房が計画的に配置されていました。また、天武天皇の時代に作られた日本最古の銅銭とみられる富本銭が鋳造されていたことが明らかになっています。
本薬師寺跡(もとやくしじあと)(橿原市城殿町)
680年に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために発願して建立された寺院。当時は薬師寺と呼ばれました。天武天皇崩御後は、持統天皇、文武天皇の代まで造営が続き、698年に完成しました。
平城京遷都に伴い、薬師寺は現在の奈良市西ノ京へと移され、こちらは「本薬師寺」と呼ばれるようになりました。金堂や東西両塔の礎石が現存する国の特別史跡です。
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