奈良盆地のほぼ中央、磯城郡(しきぐん)田原本町。秀麗な山容の三輪山、二上山を望む山並みが美しい。中央を寺川、東に大和川(初瀬川)、西に飛鳥川、曽我川が流れる平坦な地で、2000年前の弥生時代を代表する遺跡、「唐古・鍵遺跡」(国の史跡)で知られる。
遺跡の周辺は、江戸時代には水田だったそうだ。今回はこの遺跡のお膝元の鍵と、隣接する今里(いまざと)の地に伝わるちょっと怖〜いお話。
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昔、昔、今里の村に男の龍が住んでいた。村の若い娘や赤子をさらい、田畑の作物を食べつくして村人たちを困らせていた。
ある日、旅の僧が通りかかり、「五月五日の節句の日に、菖蒲(しょうぶ)の葉で太刀(たち)を作り家の入口に飾るとよい」と教えてくれた。
村人たちがその通りにすると、龍は菖蒲の臭気に負けて榎(えのき)に逃げ登り、天高く去って行った。それからは、今里の村は平和になったという。
ところが、こんどは隣の鍵の村にムジナ(アナグマ、タヌキか)が出るようになり、人をさらい、田畑を荒らして村人を困らせた。
そこで、かつて天に昇った今里の龍が降りてきて、そのムジナを退治した。おかげで鍵はもとの平和な村に戻ったそうだ。
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さて、このお話から連想されるのが「今里の蛇巻き」と「鍵の蛇巻き」という農耕儀礼の「野神(のがみ)行事」。野神は、五穀豊穣を願う農耕の守護神で、水神である蛇の姿で表される。
今も、田植え前の六月、子どもたちが稲や麦の藁で作られた巨大な蛇の頭、胴、尾を皆で担ぎ地域を賑やかに練り歩く。最後は、「ヨノミ」と呼ばれる榎に、とぐろを巻くように、今里の蛇は頭を上に「昇(のぼ)り龍」、鍵の蛇は頭を下に「降(くだ)り龍」の形で巻きつけられる。
古くから農耕の民にとって五穀豊穣と作物の収穫は一番の願い。旱魃(かんばつ)を恐れ、野神に降雨と豊作を願うのがこの行事。これらを含む「大和の野神行事」は一括して国選択の無形民俗文化財とされている。