720年に、舎人(とねり)親王らが『日本書紀』を奏上(そうじょう)した場所と考えられている平城宮跡(へいじょうきゅうせき)
『日本書紀』から現代へ
697年、持統(じとう)天皇の孫・軽皇子(かるのみこ)(文武(もんむ)天皇)が即位しましたが、文武天皇は当時15歳という若さであったため、しばらくは持統天皇が初の太上(だじょう)天皇と称して政務の後見役をつとめました。707年、文武天皇が25歳の若さで病に倒れ崩御すると、その子・首皇子(おびとのみこ)(のちの聖武(しょうむ)天皇)がまだ幼かったため、文武天皇の母・阿閉皇女(あへのひめみこ)(元明(げんめい)天皇)が即位しました。元明天皇は、平城の地に条里・条坊を備えた宮都の造営を命じ、710年に、16年間都として栄えた藤原京から奈良の都・平城京に遷都しました。また、712年には、『日本書紀』に先駆けて『古事記』が太安万侶(おおのやすまろ)によって奏上されました。
715年、元明天皇の娘・氷高内親王(ひだかないしんのう)(元正(げんしょう)天皇)が即位しました。天武(てんむ)天皇が命じた歴史編纂(さん)事業は、720年に天武天皇の子である舎人親王らによって『日本書紀』として完成・奏上されました。約40年もの長い年月をかけた大事業でした。これらのことは、『日本書紀』の後を継ぐ次代の歴史書『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記されています。
これより以降も、日本では相次いで正史(『日本後紀(にほんこうき)』『続日本後紀(しょくにほんこうき)』『日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)』『日本三大実録(にほんさんだいじつろく)』)が編纂され、神代から887年まで継続して歴史書が残されました。それらは、『日本書紀』『続日本紀』を含めて「六国史(りっこくし)」と呼ばれています。
奈良県には『日本書紀』ゆかりのスポットがたくさんあります。ぜひ奈良県各地の『日本書紀』の舞台を訪ね、歴史上の人物や出来事に思いをはせてみてください。
松尾寺(まつおでら)(大和郡山市山田町)
舎人親王が、勅命で『日本書紀』を編纂する際、42歳の厄年であったために、『日本書紀』の無事完成と厄除けの願をかけて建立した寺とされています。現存する厄除霊場としては、日本最古といわれています。日本唯一の舎人親王像があり、毎年、期間限定で公開されています。
「日本書紀完成・藤原不比等没後1300年記念」イベントをオンライン配信します!
1月23日(土)に開催予定であったイベントの「記念シンポジウム」及び「藤原不比等の足跡を辿(たど)る映像」を下記HPで公開。記念シンポジウムでは、「藤原不比等」をテーマとし、馳星周氏による基調講演や、馳氏、里中満智子氏、千田稔氏、ブルース・バートン氏によるパネルディスカッションを行いました。
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