東吉野村木津川では、村の平穏無事、村人の無病息災を祈願するため、祈祷念仏が奉納されています。その歴史は 古く、念仏で使用される鉦(かね)にも貞享(じょうきょう)4(1687)年と刻まれています。 東吉野一帯でも同様の行事が行われていたとも伝えられていますが、現在まで続いているのは、ここ木津川だけです。
念仏の準備は夕方から始まります。年行(ネンヨ)と呼ばれる年間の世話役が薬師堂の掃除などの支度を終えると、お堂前の鐘を鳴らし住民たちに合図をします。午後8時頃、人々が般若心経を唱和する中、円覚寺の住職が大般若経理趣分(りしゅぶん)と回向文(えこうもん)を唱えます。その後、念仏が始まります。堂の中央にある大太鼓に合わせ、鉦と木魚を持った男性が手と足を高く上げながら堂内を半円形に往復します。堂の周りの男女は交互に「南無阿弥陀仏」と抑揚をつけながらにぎやかに歌います。 本尊の薬師如来に喜んでもらうため、踊り手は、代々、愉快に、楽しく踊ることを大切にしてきました。その伝統は今も受け継がれています。かつては、行事が終わると境内で盆踊り(「大踊り」と呼ばれていました)が行われ、近くの集落からの参加もあり、明け方まで踊り明かしていたそうです。
薬師堂で祀(まつ)られている薬師如来座像
以前は、踊り手と囃子(はやし)の歌い手は合わせて30人程いましたが、人口減少や高齢化が進み10数人まで減少しました。木津川は、東吉野村でも珍しく、多くの伝統行事が今でも残っている集落です。神様への信仰が深く根付いており、年の始めには鯛・おこぜ・山林用具などを模した木工品の御供(ごく)を山の神様に捧げる山の神祭りや栗のオコナイ棒で薬師堂の床を叩く初祈祷などの風習も途絶えることなく今も続いています。踊り手や歌い手が減っている中、伝承させていくのは難しい状況ですが、体が動く間は続けていき、この伝統ある念仏を多くの人に見ていただきたいです。
米谷さん、岡本さん、烏帽子さん
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