この歌は、藤原不比等(ふじわらのふひと)の三男である藤原宇合が詠んだ歌です。宇合は遣唐副使(けんとうふくし)や常陸守(ひたちのかみ)、式部卿(しきぶきょう)、知造難波宮事(ちぞうなにわぐうじ)、参議(さんぎ)、西海道節度使(さいかいどうせつどし)などを歴任した律令官人で、式家の祖としても知られています。一方で、『万葉集』に短歌六首、日本最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』に漢詩六首を残す歌人・詩人でもありました。 今回の歌は『万葉集』巻八、秋の雑歌(ぞうか)に収められています。巻八は季節ごとに雑歌・相聞(そうもん)に分けられており、雑歌は風物を詠むもの、相聞は恋情(れんじょう)を詠むものです。今回の歌は一見、雑歌ではなく相聞に思えます。「わが背子」は男性同士で用いることもありますが、女性から男性へ親愛の情をもって用いる例が大半です。「面やは見えむ」の「やは」に不安が示されており、秋の夜、男性の訪れを待つ女性の姿が想像できます。 改めて考えると、藤原宇合は男性なのに、この歌は女性の立場で詠まれています。宇合の歌には、他にも女性の立場で詠んだもの(一七三〇番歌)があり、いずれも宇合が虚構として創作した歌と考えられます。また、宇合は漢詩文に素養がありました。秋風が吹く中、女性が男性の訪れがないことを閨房(けいぼう)(寝室)で嘆く詩が『玉台新詠(ぎょくだいしんえい)』など中国の宮廷詩にいくつも見られます。宇合はそのような知識を利用して、「秋の風」にふさわしい和歌を創作したのではないでしょうか。 また、「秋の風吹く」歌は、相聞にもあります。巻八、秋の相聞は、額田王(ぬかたのおおきみ)が天智天皇を思って詠んだ「君待つとわが恋ひをればわが屋戸の簾(すだれ)動かし秋の風吹く」(一六〇六番歌)から始まります。相聞ばかりを収めた巻四にも同じ歌(四八八番歌)があり、秋の相聞の代表といえる歌です。額田王の歌の「秋の風」は訪れの前兆とも解され、恋情に中心があります。一方、雑歌に収められた宇合の歌では、むなしく吹く「秋の風」そのものに中心があると言えそうです。 (本文 万葉文化館 阪口由佳)
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