平群町
聖徳太子の名脇役
聖徳太子には、名脇役というべき頼れる臣下たちがいました。太子前半生の一大事件である、物部守屋の討伐において活躍した舎人(とねり)・跡見赤梼(とみのいちい)もその一人です。
『日本書紀』にみえる赤梼は、仏教受容を進める蘇我馬子の意を受けて、排仏派の豪族・中臣勝海(なかとみのかつみ)を手にかけるなど、懐刀のような役回りで描かれています。
河内国における守屋との最終決戦で、大木の上から矢を射かけてくる守屋に太子軍は苦戦します。このとき、樹上の守屋を射落とす起死回生の一矢を放ったのが赤梼でした。戦後、赤梼は論功行賞として田地一万代(しろ)(約十四町)を賜っています。
そんな赤梼ゆかりの寺が、平群町椿井の椿井春日神社周辺にありました。椿井寺(つばいでら)と呼ばれ、江戸時代の地誌『大和名勝志(やまとめいしょうし)』には、守屋討伐の折、戦勝の暁に十一面観音の造立と伽藍の建立を誓った赤梼によって、推古天皇2(594)年に創建されたとあります。
明治時代の神仏分離の際に廃寺となり、建物は残っていませんが、江戸時代の絵図には、春日神社の境内に観音堂、境内南方に南之坊が描かれており、往時の姿を偲(しの)ぶことができます。また、椿井寺でまつられていた仏像は、現在も地元で大切に守り伝えられています(非公開)。さらに、南之坊跡近くにある椿井井戸は、江戸時代に大和国三十三所観音巡礼寺院となった椿井寺の御詠歌(ごえいか)(「いさぎよきつはひ(椿井)の水をむすびてハ五よく(欲)のあか(垢)をすすぐ成けり」)に詠みこまれ、今でもこんこんと水が湧き出しています。
椿井寺旧蔵十一面観音菩薩立像〔室町時代 個人蔵〕
大和名勝志(部分)〔江戸時代 県立図書情報館寄託〕
椿井春日神社付近絵図〔江戸時代 平群町立図書館蔵〕
椿井春日神社
椿井春日神社は大字椿井の鎮守社です。境内には、江戸時代の絵図に「観音山」としてみえる宮山塚古墳(県指定史跡、五世紀後半)があります。
また、境内南方の椿井井戸脇にある「椿井」の石碑は、文政4(1821)年、椿井村周辺に領地があった楽人(がくにん)(雅楽演奏者)たちによって建てられたものです。
椿井春日神社本殿
椿井井戸
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「芸能絵巻~和の心と美を世界に」
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