重要文化財 當麻寺木造阿弥陀如来坐像(所在講堂)

重要文化財 當麻寺木造阿弥陀如来坐像(所在講堂)【R3修理完了】

阿弥陀如来坐像について

 本像は、當麻寺講堂に安置される阿弥陀如来坐像です。丸顔の温和な表情や浅く整えられた衣文(えもん)の表現などから、平安時代後期の定朝(じょうちょう)様式を踏襲する作品です。

 ※定朝様式:平安時代の仏師「定朝」が、平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像で完成した仏像彫刻様式。

 修理前は、全体に埃が堆積し、虫蝕が著しく、また、漆箔が浮き上がるなど、見苦しい状態となっていました。そのため、埃を取る「クリーニング」、浮き上がった漆箔を接着剤で固定させる「剥落止め」、虫蝕や隙間などを埋める「材質強化」、新たに補った部分の「古色調整」などを行いました。

 左側の写真をご覧いただくと、像全体がくすんだ色になっているのが分かると思います。これは、長年の埃が堆積しているためです。本像は漆箔像であり、長年の経過により、漆箔がもろくはがれやすい状態になっていたため、お寺としても触れることが難しい状況でした。

 今回の修理では、専門の修理業者が、漆箔を剥がさないように注意しながら、像全体の埃を取り除きました。また、浮き上がった状態になっていた漆箔を固定させる修理を行いました失われていた左手については、今回新たに製作して、取り付けています。現存する右手と見比べて違和感がないように、大きさや色、形など、細部まで精密に製作しています。

今回の修理を通じて、本像は美しい姿を取り戻すことができました本像は當麻寺で公開されておりますので、ぜひ一度ご覧いただきたいと思います。

當麻寺について

 當麻寺の歴史は、612年に聖徳太子の弟である麻呂子親王が創建した寺(万法蔵院)を、その孫に当たる當麻国見が現在の場所に遷造し、685年に七堂伽藍を完成させたことからはじまります。天平時代に中将姫が極楽浄土を願う思いによって蓮糸で織り現されたと伝わる「當麻曼荼羅」は有名であり、現在、室町時代にそれを転写した文亀本が本尊として本堂内に祀られています。寺宝も多く、日本最古の梵鐘の他に東塔西塔など国宝8件、日本最古の石灯籠をはじめ仏像や絵画など国指定の重要文化財30件、名勝史跡1件、県指定文化財9件、市指定文化財1件、国登録文化財1件、合計49件の指定文化財等を所有しており、文化財の宝庫と言われています。

 また、国宝當麻曼荼羅ほか多数の文化財があり、中でも中将姫の命日とされる4月14日に催行される當麻寺練供養会式は1005年から途切れることなく続けられており、中将姫伝説が今もなお色濃く根付いているため、地域にとっても大切な歴史文化資源となっています。

「いかす・なら」HPより抜粋)

 ※中将姫:藤原鎌足の孫にあたる豊成卿の娘として出生。

中将姫の伝説

 中将姫は綴織の當麻曼荼羅(現:国宝)を一夜にして織り上げた後、阿弥陀二十五菩薩により西方極楽浄土へ迎えられたと伝わる伝承があります。中将姫の命日とされる4月14日には、この伝承に則った「當麻寺練供養会式」が毎年執り行われ、當麻寺の境内に架けられた長い架け橋の上を二十五菩薩が練り歩き、中将姫の御霊が現世から極楽浄土へ導かれていくさまが演出されます。この会式は1005年から途切れることなく続けられているといいます。

「いかす・なら」HPより抜粋)

■當麻寺についてはこちら(なら旅ネット)