奈良のむかしばなし

県民だより奈良
2023年2月号

奈良のむかしばなし
【第80話】
聖徳太子、富士山を飛ぶ
文と絵・山崎しげ子
 奈良県の北西、緑深い矢田丘陵の南端近くの生駒郡斑鳩町。かつては地名の由来ともなった、黄色い嘴(くちばし)が特長のイカル(鵤)が群れをなして飛んでいたという。
 斑鳩町といえば、法隆寺を創建した聖徳太子。今回は、その太子と愛馬の黒駒(くろこま)、太子の舎人(とねり)(世話係)調子麿(ちょうしまろ)とのとても不思議なお話。
 太子、二十七歳のときのこと。甲斐国(かいのくに)(山梨県)から献上された黒駒を太子が「神馬(じんめ)」と見抜き、調子麿にその世話をさせた。調子麿は、百済の聖明王(せいめいおう)の縁者といわれ、温厚な人柄で太子に献身的に仕えた。
 ある日、太子が黒駒に試乗したところ、何と不思議、調子麿とともに雲に乗り天高く飛び上がった。
 太子たちは東へ向かい、さらに富士山を越え、信濃国(しなののくに)(長野県)を過ぎ、三日後に飛鳥の地に帰ってきた。「飛ぶこと雷電のごとし」と。
 太子、三十四歳のとき。斑鳩の地に斑鳩宮(今の法隆寺東院付近)を造り移り住んだ。時の推古天皇の皇太子として政務に励む傍ら、ここで内政、外交、文化の思索に没頭、また仏教の研究、興隆(こうりゅう)に力を尽くした。
 当時の都、飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)へは黒駒に乗り、調子麿を従えて片道約20キロメートルの道を往復されたという。
 太子、四十二歳のとき。太子が片岡山(北葛城郡王寺町付近)を通りかかったとき、黒駒がなぜか歩みを止め、太子が鞭(むち)をいれても進まない。道端に飢えた人が横たわっていた。太子は飢人(きじん)に、食べ物と自らの衣服を脱いで与え、「安らかにお休みなさい」と語りかけた。
 太子が調子麿に「かの人、かうばしやいなや(いい香りがしたか)」と尋ねると、「はなはだかうばし(とてもいい香りがした)」と答えた。飢人が顔を上げると、目に金色の光がさしていた。太子は飢人を聖(ひじり)と直感。この飢人こそは、実は禅宗の開祖、達磨大師の化身であったといわれる。
 今、法隆寺の境内、聖徳太子を祀る聖霊院(しょうりょういん)脇の「馬屋」には、黒駒と調子麿の木彫が収められている。
(『日本書紀』『聖徳太子伝暦(でんりゃく)』『聖徳太子絵伝(えでん)』他を参考にしました)
聖徳太子
駒塚古墳と調子丸古墳
 駒塚古墳は斑鳩町にある3つの前方後円墳の1つで、町内では最も古いと考えられている。その駒塚古墳には、聖徳太子の愛馬の黒駒を葬ったとの伝承(太子が亡くなった後、黒駒は何も口にせず、太子の墓の前で大きくいななき亡くなった。それを憐れんだ人々により葬った墓が駒塚である)が残る。
 調子丸古墳は、駒塚古墳から約100メートル南にあり、聖徳太子の舎人の調子麿を葬ったとの伝承が残る円墳である。
 この2つの古墳は平成4年に斑鳩町指定文化財になっている。
今里
左上: 駒塚古墳、右下: 調子丸古墳
写真提供: 斑鳩町教育委員会
物語の場所を訪れよう
駒塚古墳、調子丸古墳(斑鳩町東福寺)
JR法隆寺駅より北東へ約1.5km
杵築神社、八坂神社への地図
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