2023年7月号
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国宝 興福寺五重塔 保存修理事業
国宝興福寺五重塔は、高さ約51mと奈良県一高い建造物です。奈良時代に創建されて以来、焼失と再建を繰り返し、現在の塔は室町時代に建てられました。約120年ぶりとなる今回の修理は、木部や壁など傷んだ部材を修理し屋根瓦の葺替(ふきかえ)を行う予定で、令和13年3月までの長期事業となります。
奈良県文化財保存事務所は、文化財所有者からの委託を受け、国宝、重要文化財などの文化財建造物の調査や修理を行っています。
文化財修理の設計を行う18人の建築技師、木工事を担当する12人の大工が正職員として働いています。文化財の修理工事専門の建築技師などを採用している都道府県は少なく、奈良県のほかは京都府、滋賀県と、文化財建造物が集中している地域のみです。
現在、5つの出張所となら歴史芸術文化村において、職員が常駐して保存修理を行っています。
工事中は建造物をご覧いただけませんが、貴重な文化財を未来につなぐための修理ですので、ご理解とご協力をお願いします。
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国宝 金峯山寺二王門(きんぷせんじにおうもん) 保存修理事業
❖ 金峯山寺二王門とは
国宝金峯山寺二王門は上下二重に屋根のある門で、吉野郡最古の建造物です。国宝であるとともに、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産でもあり、その玄関口としてふさわしい大変貴重な文化財です。
❖ 修理に至るまで
戦中から昭和25(1950)年にかけて行われた解体修理から約70年経過し、特に東側で基礎が大きく沈み、水平であるはずの部材が変形していました。また、部材の看過できない虫食いや腐りをはじめ、さまざまな損傷が見られたため、基礎と建物全体を修理すべく、解体修理を実施することになりました。
❖ 保存修理の現状
現在は門の解体を進めながら、その都度調査・記録を実施しています。解体時には、歴史考察の重要な資料となる墨書や遺物などが見つかることが多いため、見落としがないよう慎重に作業をしています。他にも部材のさまざまな情報を調べ、二王門建立当初の設計意図を解明することを目指しています。
❖ 今後の課題
二王門は室町時代中期の康正2(1456)年の建立とされていますが、二重の屋根の上下で一部意匠に違いがあることや、門の中に立つ仁王像からは室町時代前期の延元3-4(1338-39)年に造立されたことを示す墨書が発見されていることから、初重(下重)は後醍醐天皇が吉野に皇居を置いた頃には、既に建立されていた可能性があります。この究明は、今回の修理の大きな課題の一つです。
初重屋根の解体状況(令和5年4月末時点)
「桔木(はねぎ)」という屋根の軒先を支える部材を解体している様子
屋根を支える「小屋束(こやづか)」という部材を解体している様子
文化財保存で人々の「想い」をつなぐ
総本山金峯山寺 管領
五條 良知さん
金峯山寺は飛鳥時代に修験道の開祖である、役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれました。開創以来、この地の人々の信仰の証として多くの想いを受け、修験道の道場として栄えました。そこにいるだけで大自然の優しさと厳しさに直面でき、自然に生かされていると感じられる、そんな魅力が金峯山寺にはあります。
金峯山寺は立地条件が特殊で道も狭いため、今回の修理工事に当たり懸念事項は少なくありませんでした。しかし、二王門には先人たちが創り上げてきた信仰の道場を守るという重要な役割があります。信仰を重ねてきた人々、修理を行ってきた人々、また住んでいる人々の想いを未来に伝えていくための大事な作業です。ただ建造物を修理して残す以上に、そういった人々の「想い」を伝えていくことが文化財保存の大きな意義だと思います。
現在、仁王像は奈良国立博物館で展示されていますので、ぜひその迫力を感じてみてください。そして、二王門の修理が完成したらこちらへお帰りになりますので、本来のお姿も見ていただきたいと思います。
国宝 金峯山寺本堂(蔵王堂)
重要文化財 旧織田屋形大書院(きゅうおだやかたおおじょいん)及び玄関(げんかん)保存修理事業
重要文化財旧織田屋形大書院及び玄関は、天理市柳本町にあった柳本藩の表向御殿の遺構です。江戸時代後期に一度焼失し、現在の建物は天保15(1844)年に再建された時のものです。明治10(1877)年以降は柳本小学校の校舎として利用されましたが、現在は橿原神宮へ移築され、「橿原神宮文華殿(かしはらじんうぶんかでん)」として文化的行事に使用されています。
柳本藩織田家は、信長の弟で茶人として有名な織田有楽斎(うらくさい)の系統で、大書院と玄関も織田家の名にふさわしい規模と格式を備えています。全国的にみても貴重な大名御殿といえます。
修理前は柱が立つ礎石が最大8cm沈み、床が傾いていたため、コンクリート基礎を設置する必要がありました。そのため、建物を骨組みの状態にし、軽くしてから1m持ち上げました(揚前工事)。今年度は基礎の上に礎石を置いて、建物を下ろす予定です。構造補強も実施し、令和8年3月の竣工を予定しています。
大書院上段の間 全景
揚前工事(ジャッキで1m持ち上げた状態)
手前が玄関、奥が大書院
屋根も傷んでいたため、葺替を行います。揚前工事のためにも、骨組みの状態にし、軽くしました。
重要文化財 法隆寺東院礼堂(とういんらいどう)ほか2棟保存修理事業
法隆寺では東院礼堂および東院廻廊(かいろう)の保存修理事業を行っています。礼堂は夢殿を中心とした東院伽藍(がらん)の礼拝をするための施設であり、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものです。礼堂・廻廊共に、前回修理から80年以上経過し、屋根に雨漏りなどが生じ、耐震対策が必要とされたため、令和元年に修理を開始しました。昨年までに礼堂の屋根などの木部の腐朽箇所の補修、本瓦屋根の葺替などが完了しました。屋根瓦は一枚一枚調査を行い、できる限り元の瓦を再利用しています。屋根の頂には室町時代の立派な鬼瓦を再び据え付け直しました。また、耐震補強として設置した構造壁は、建物に直接釘などで留めず、はめ込む形で取り付けることで、文化財である建物を傷めない工夫をしています。今年は、漆喰壁および内部赤色塗装の塗替を行った後、修理のための仮設覆屋を解体し礼堂の修理を完了する予定です。
法隆寺東院礼堂 修理前 内部全景
瓦を一枚一枚調査し、できる限り元の瓦を再利用しています。
礼堂の耐震補強が必要な箇所に面格子の構造壁をはめ込みました。
礼堂の鬼瓦は室町時代中期に作られたものです。
重要文化財 玉置神社社務所(たまきじんじゃしゃむしょ)及び台所保存修理事業
重要文化財玉置神社社務所及び台所は、十津川村の南部、玉置山の山頂付近にあります。書院は19室からなる大規模なもので、狩野派の絵師橘保春(たちばなやすはる)による華やかな襖絵が有名です。地下には修験者のための参籠所(さんろうしょ)があります。棟札(むなふだ)から江戸時代の文化元(1804)年の建立と考えられていましたが、調査の結果、台所部分の建立年代がさらにさかのぼることが明らかになりました。
石垣が緩んで建物が傾斜しているため、建物全体を解体し補強する予定です。現在は、破損状態を調査している段階で、併せて襖の劣化防止などの作業を進めています。
1階は19室からなる書院、地下には参籠所があり、修験者がこもって修行していました。
1階の書院内部
解体する前に、各部材の寸法や納まりを確認していきます。
板戸の痕跡を調査し、建立当初の鮮やかな彩色の復元図を作成しました。
県指定文化財 多坐弥志理都比古神社(おおいますみしりつひこじんじゃ)本殿保存修理事業
県指定文化財多坐弥志理都比古神社本殿は、春日大社本殿でみられるような大型の春日造の本殿四棟で、東方の二棟は江戸時代の享保20(1735)年、西方の二棟は同時期の18世紀の建立と考えられています。
台風などが原因で建物は傾斜し、部材は雨水による腐朽や虫害による破損がみられたため、建物全体を解体する修理を令和3年から開始しました。現在は、軒の解体作業中で、解体した部材を「なら歴史芸術文化村」の建造物修復工房に順次運び、部材の調査や補修などの過程を公開しています。5月には上皇・上皇后両陛下も御覧になりました。
修理前の状況(建物の傾斜を止めるため、斜めの部材が追加されています。)
解体した部材は「なら歴史芸術文化村」で修理します。
「なら歴史芸術文化村」の建造物修復工房の状況
問
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県文化財保存課・文化財保存事務所
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TEL
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0742-27-9865
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FAX
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0742-27-5386
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