清らかな母、仙女になる
文・山崎しげ子
奈良県の東北端、三重県境に近い宇陀郡曽爾村。曽爾高原の秋風に揺れるすすきの絶景で知られるが、今回は、その曽爾村に伝わる『日本霊異記(にほんりょういき)』(平安時代初期)の中に登場する、不思議なお話。
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昔、昔、宇陀郡漆部(ぬりべ)の郷(さと)に質素に暮らしながら、常に身を洗い清め、気品に満ちた女性が住んでいた。女性は、この郷の漆部造麿(みやつこまろ)の妻であった。
夫婦は仲むつまじく、七人の子どもに恵まれた。女性は夫に尽くし、子どもたちとも優しい笑顔と慈しみの心で日々を暮らしていた。衣服は、藤蔓の繊維で織った布で作り、食事も、野山で山菜を摘んでおいしく調理した。
ところが、ある日、女性が山で野草を摘んでいた時、たまたま、その一枚を口にした。と、それは「仙草」であった。女性は、不思議や神通力を得て「仙女」となり、天高く飛んで行った。
・・・と、お話はここまで。
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女性も清浄な心と行いで日々精進すれば、仙人の修行をせずとも仙女になれるというお話。
さて、このお話の舞台となった曽爾村漆部の郷(現在の塩井地区)。平安時代後期の辞書『伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)』の「本朝事始」では、昔、倭建命(やまとたけるのみこと)が宇陀の山で狩りをしていた時、木の枝を折るとその樹液で指が黒く染まった。持ち物に塗っても同じ。この地に、漆(うるし)の木が自生していた。そこでここにやがて「漆部造」を置き、漆の採取、漆工の集団を束ねて朝廷に奉仕した。これが日本における漆の始まりと伝わる。
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漆の語源は、「麗し」とも。漆の歴史は古く、縄文時代(1万年前)の遺跡から漆塗りの土器、朱色の漆塗りの櫛(くし)などが出土している。
今、私たちが日常生活で使っている漆塗りの椀、皿、盆などもその艶と美しさ、強靭さで今日まで受け継がれてきた。曽爾村では、2005年、有志が「漆ぬるべ会」を結成、漆の植栽、漆器の復活に取り組んでいる。皆の熱い思いが、若い世代に継承されることが望まれる。
曽爾村と漆
漆塗り発祥の地といわれる曽爾村。時代とともに曽爾村の漆は衰退したが、塩井地区の有志が漆の復活を目指し「漆ぬるべ会」を発足させ、漆の苗木作りや植樹などを行ってきた。当初は鹿の食害などで苗が枯れることも多かったが、試行錯誤の末、今では約150本の漆が育っている。2018年には漆復興拠点施設「ねんりん舎」がオープンし、漆器や工芸品の展示、ワークショップなどを行っている。
2019年からは漆の取り組みを村全体へと広げる「山と漆プロジェクト」を開始した。将来的には奈良県の文化財修復を曽爾村産の漆でまかなうことを目指し、官民一体で漆の森づくりや担い手の育成などの取り組みを進めている。
写真提供:曽爾村
物語の場所を訪れよう
漆復興拠点施設「ねんりん舎」(曽爾村塩井)
宇陀地域連携コミュニティバス
曽爾村役場下車、南東へ約1km