はじめての万葉集

県民だより奈良
2023年11月号

はじめての万葉集
【vol.115】
山主(やまもり)は けだしありとも
吾妹子(わぎもこ)が 結(ゆ)ひけむ標(しめ)を 人解(と)かめやも
大伴駿河麻呂(おおとものするがまろ) 巻三 (四〇二番歌)
山の番人はあるいはいましょうとも、あなたが結んだしるしを人がとくなどということがありましょうか。
駿河麻呂と坂上郎女(さかのうえのいらつめ)

 この歌は、大伴駿河麻呂が、大伴坂上郎女の歌に対して即座に唱和した一首です。
 直前に、大伴坂上郎女が親族との宴の際に詠んだ「山守(やまもり)のありける知らにその山に標(しめ)結(ゆ)ひ立てて結(ゆ)ひの恥(はぢ)しつ」(山の番人がいたのも知らないで、その山にしるしを結んで、「結ひの恥」をしたことよ)という歌があります。ともに巻三の譬喩歌(ひゆか)に分類されており、歌の表現には比喩や寓意(ぐうい)が含まれています。「山守」や「山主」が求婚する男性を、「山」は求婚される女性を意味し、坂上郎女の娘を指すとみられます。
 巻四・六四九番歌の左注に、駿河麻呂は「高市大卿」(大伴御行か)の孫、坂上郎女は「佐保大納言卿」(大伴安麻呂)の娘とあることから、二人は叔母と甥の関係だったことがうかがえます。
 駿河麻呂は、天平十五(七四三)年に従五位下となり、天平十八(七四六)年から越前国守を務めました。天平宝字元(七五七)年、橘奈良麻呂の変に加わったとして処罰されましたが、宝亀元(七七〇)年に出雲国守として復帰、宝亀三(七七二)年には陸奥按察使(みちのくのあぜち)(東北地方の行政監督)に任命され、一旦は老いを理由に辞退したものの、陸奥鎮守将軍として東北地方を鎮圧、その功績により宝亀六(七七五)年に参議となり、正四位上・勲三等に叙せられました。宝亀七(七七六)年七月七日に没した際には、従三位を追贈されています。
 大伴氏は武門の家であり、六七二年の「壬申の乱」では駿河麻呂の祖父世代が活躍していました。駿河麻呂も東北地方の鎮圧で著しい功績をあげており、光仁天皇の信頼もあつい人物であったと伝えられています。
(本文 万葉文化館 井上さやか)

ほととぎすイラスト
万葉ちゃんのつぶやき
大伴氏ゆかりの地 佐保

 平城(なら)の都の北側には、平城山が続いており、その南東側の麓に広がるのが佐保の地です。この地は南に向いたなだらかな傾斜になっており、景観も良いため、多くの貴族が住んでいました。
 奈良時代には大伴氏との縁も深く、佐保の地名や佐保川などの付近の情景を詠んだ歌は『万葉集』にも多く見られます。大伴家持の祖父で壬申の乱で功を立てた大伴安麻呂は、「佐保大納言卿」と呼ばれたように平城京では佐保に邸宅を構えました。その後、大伴旅人や坂上郎女、家持などもこの地に住んだと伝えられています。

佐保川
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