2023年11月号
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vol.47
500年を超える伝統を守り抜く
竹茗堂(ちくめいどう) 左文
堂主
久保 左文(くぼさぶん)さん(本名 昌城(まさき))
一子相伝で受け継がれた茶筌
竹茗堂左文は寛永10(1633)年から高山茶筌を作り続ける家系で、私で24代目です。高山茶筌の歴史は500年以上前に、茶道の創始者である村田珠光(むらたじゅこう)がお茶を攪拌(かくはん)する道具の製作を親交のあった鷹山(たかやま)領主の次男、鷹山宗砌(そうせつ)に依頼したことから始まります。苦心の末に作られた茶筌は、後土御門天皇へ献上され、お褒めの言葉と「高穗」の御銘を賜りました。感激した領主は地名と家名を「高山」に改めます。後に高山家が奈良から京丹後へ仕官する際に、奈良に残る主だった16人の家臣に茶筌の製作を許可し、家臣たちが茶筌製作の技術を一子相伝で継承してきました。現在、国内で生産される茶筌の約9割が高山で作られており、経済産業大臣より国の伝統的工芸品の指定を受けています。
継承への挑戦
高度経済成長期には花嫁修業として茶道が普及し、1970年ごろに茶筌の生産はピークを迎えました。人手不足を補うため技術は一般公開され、多くの新規参入もあり当時は50軒ほどの業者が高山で茶筌を製造していましたが、安価な外国産茶筌の流入や女性の社会進出などの影響により、今では約20軒まで減少しています。
後世へ茶筌の製作の技術と伝統を残すためには、新たな需要の創出が重要です。そこで、2008年のルーブル美術館への出展を皮切りに、パリやニューヨークの展示会で製作実演やお茶の接待を行うなど、海外展開を積極的に行ってきました。その結果、海外から大きな反響があり、今では10カ国以上に商品を届けています。
また気軽に茶道に親しめるよう、柄が長く持ちやすいマドラー型の茶筌や編み糸がカラフルな茶筌など、新商品の開発も行っています。茶道は「敷居が高く難しい」というイメージを持つ人も多いと思いますが、まずはコーヒーやココアでもいいので、日々の暮らしの中に自分の手で点てる楽しみを取り入れてみてください。
これからも茶筌とともに
茶筌の材料となる竹の確保も大きな課題です。全国各地を回り竹を調達すると同時に、地元で良質な竹を確保するため、荒廃した竹林の再生事業にも取り組みます。竹林再生のために伐採した竹は、バイオマス燃料に加工したり壁材として使用するなど、竹の有効活用も進めています。その他にも後継者不足などの課題はありますが、それらと向き合いながら、日本を代表する茶道文化を影ながら支える茶筌を未来に繋いでいくため、さまざまな挑戦を続けます。
竹茗堂 左文
所
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生駒市高山町6439-3 |
電話
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0743-78-0034 |
FAX
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0743-79-1851 |
竹茗堂左文が積み重ねてきた歴史やこだわり、商品情報は下記から。